■自然哲学の基礎的テキスト:『新・哲学講義⑤』「講義の七日間」から
1 弱点になりがちな自然哲学
哲学と科学は別物のように扱われがちです。しかし両者は相当近い関係にあります。哲学者であるととに科学者である人も、めずらしくありません。この間の事情を『新・哲学講義⑤』で伊藤邦武が指摘しています。常識の確認といった感じの記述です。
▼ガリレイやケプラー、あるいはニュートンのような人々は、すべて偉大な科学者であったとともに、様々な哲学的な考察をその著書の中で展開しています。一方、デカルトやパスカル、あるいはライプニッツといった哲学者たちが、同時に傑出した科学者でもあったことは、よく知られているとおりです。 p.5
科学的な知見がわれわれの意識にまで影響を与えています。科学的な知識があれば、合理的な発想になっていくのは自然なことでしょう。もはや、科学的な知見があることが前提になっています。逆に、自然哲学の理解のほうに弱点があるのではないでしょうか。
2 コペルニクスに先立つミケランジェロの「地動説」
科学的な発想が出てきたのは、コペルニクスあたりからと言ってよさそうです。『天体の回転について』が1543年に出されました。『新・哲学講義⑤』の年表には「新プラトン主義に基づく太陽中心説の提唱」とあります。哲学者の発想が科学に活きているのです。
この時代は、イタリア・ルネサンスの時代にあたります。シャルル・ド・トルナイ『ミケランジェロ 芸術と思想』で、ミケランジェロの描いた『最後の審判』は[太陽を中心とした宇宙の壮大な光景](p.85)であり、地動説に基づいていると指摘していました。
『最後の審判』は、キリスト教的な[宗教的宇宙観を独自の方法で創造](p.86)したものと言えます。この作品が描かれたのは[1543年のコペルニクスの発見の公表より七年早]かったのです(p.87)。合理的な哲学的考察の積み重ねが、科学の発展に先立っています。
3 科学と知識と理性
科学的な発想というべき、自然哲学、科学哲学を基礎から学ぶ必要があるのかもしれません。このあたりに弱点があるらしいと思いました。『新・哲学講義⑤』の伊藤邦武の執筆による「講義の七日間-自然哲学のゆくえ」は、基礎的な標準テキストになっています。
およそ50頁の解説を読むだけで、基礎的知識が身についたように感じ、頭の中が整理された気になるのです。[「科学」すなわち「知識」(これらの原語はいずれもスキエンティア、つまりサイエンスです)](p.15)、ここでいう「知識」が体系化されていきます。
感覚・判断能力などを含む「理性」が、[多様な認識を次々と組織的なものにして、それを一つの「体系」へとまとめ上げようとする能力を持つ]、[理性の働きに基づく、より整合的で包括的な体系化の進展をこそ、私たちは科学の進歩と呼]ぶのです(p.38)。
哲学史の解説を、古代から現代まで読んだだけでは気づきにくいことが、自然哲学の分野の基礎的な解説によって、見えてきます。これだけでも弱点のカバーになりそうですし、次に進むために必要なステップとなるでしょう。よくできたテキストだと思います。
