■工房とアカデミーという学問の教育体制:若桑みどり『イメージを読む』から
1 人気の美術史の講義
若桑みどり『イメージを読む』は、北海道大学で5日間、美術史の集中講座で話した講義録をもとに、[朝二時間、午後三時間くらいで、毎日ひとりの芸術家の代表的な作品一枚を取り上げて、その絵の意味を様々な角度から見るというような形式](p.5)の本です。
5時間一人の一枚の作品についての話を聞くと、専門家とは言えない人なら、一通りのことが聞けて、満足できるだろうと思います。その内容と語り口が気になって、また手に取りました。若桑の講義は、どこの大学でも大変な人気の講座だったようです。
若桑自身は、[大学の美術史の講義とはこういうものなのか、といった興味で一般の方々や高校生が読んでくれたらうれしい](p.7)と書いています。それに十分に応える本だと言ってよいでしょう。初心者向けの本ですから、興味がある人なら、話はわかります。
2 アカデミーを作りたかったレオナルド
レオナルド・ダ・ヴィンチは、中世的な昔ながらの職人の生産システム、つまりは[手だけを考えて知性を教えない徒弟制度]を嫌っていました。レオナルドは、[学問というのは知的なものだ、芸術もまた知的なものだと信じていました](p.120)。
▼プラトンがアカデメイアを作って、知的なことを会話によって知性から知性へと教えたように、芸術も知的なもので、身体で教え込むものではなくて、知性によって言葉によって教えるものだとレオナルドは思っていたのです。 p.120
[彼は工房ではなく、アカデミーを作りたいと思っていた][空想の中で作るアカデミーの紋章をデザインして、自ら足りていた]ということでした(p.120)。工房とアカデミーでなす教育については、[芸術大学ではいつでもその議論が繰り返されます](p.66)。
3 工房とアカデミー:今も生きている問題
芸術に限らず、学問を教える形式について、工房とアカデミーという二つの概念があります。工房の思想とは、[生活を共にし、師と弟子が人間的交流の中でいわば口伝えに学問や知識や技術を伝えあい、教育の場がそのまま作品創造の場](p.66)になるものです。
一方、アカデミーというものは、[多くの教授たちが教壇に立って体系化された知識を口頭で講義して、教授と弟子のあいだには、せまくて深い河があってそこを渡ることはできない、という一種の威厳を持った知的な教育体制](p.66)を採ります。
学ぶべき[模範となったのはギリシアの芸術様式]でした。模範となるものが、クラシックになります。[クラシックとは本来、時代が変わってもゆるがない価値をもったもの]であり、美術史では[最も完璧な様式を完成した時代に実現した特質]です(p.67)。
これが盛期・古典期であり、まだ模倣できない初期段階がプリミティブ、逆に[技術が高度に発展し、技巧は洗練され、もろもろの形式が整備されつくしてワンパターン化してくる末期段階をマニエリスム]と呼びます。いまもまだ、生きている問題です。
