■日本語の造語機能について:「さらなる」の事例

     

1 野口悠紀雄の語用論

野口悠紀雄は『書くことについて』で、[誤った日本語は多々ありますが、それらのうちでもっともにになるのは、「さらなる」です]と記しています(p.201)。[私がこの言葉を初めて聞いたのは、平成の初め頃のことです]とのこと(p.203)。

野口は「さらなる」が誤りである理由として、「さらに」が形容動詞の連体形であるとしたら、終止形は「さらなり」であり、「いうまでもない」という意味になるから、「さらなる」は[「より一層の」という意味にはならない](p.202)とのこと。

また[「なり」を終止形とする形容動詞は、現代語においては、終止形が「だ」、連体形が「な」に変化]したはずだが、[口語における終止形「さらだ」が存在]しない点から(p.202)、「さらなる」は[突然変異的に発生した言葉](p.203)だということでした。

      

2 「さらに、大いなる」の意味

野口は[「さらに」という副詞は存在しますが、「一層の」という意味での「さらなる」という表現は正しい日本語ではありません](p.203)という結論を出します。[国語を大事にしない国家ができるはずはありません](p.206)と、日本の衰退を言うのでした。

しかし、おそらく「さらなる」は今後も使われるでしょう。誤用と言えるのかは微妙です。日本語の場合、言葉が複合化してそれがピタッとはまってしまうと、効果的な言葉になります。「さらなる」と聞けば、「さらに、大いなる」を感じ取ることができるのです。

多くの人は、「さらなる発展のため」と「さらに発展するため」との語感の違いを感じとることでしょう。より大きな発展を感じるのは「さらなる発展」の方です。「大いなる発展」がどこかで響いています。「いまよりもさらに大きな発展」をということです。

    

3 欠落がピタッとはまった「さらなる」

野口は、形容動詞という不安定な品詞を気にして、[「形容動詞」とした言葉を、「名詞」と「指定の助動詞(なり)」に分解する立場もあります]と言い添えていました。ただし、その場合も[結論は変わりません]とあります(p.204)。アプローチが違うのです。

文法学者がかつて、コンニャク文ともいわれる「こんにゃくは太らない」という文を、苦労してあれこれ解釈していたことがありました。こんなものはムダなことです。「こんにゃくは太らない食べ物だ」の「食べ物だ」が欠落した形でしかないでしょう。

日本語の場合、伝わるものを欠落させることが良くあります。「漱石を読む」という言い方もその例です。「漱石の作品を読む」と言うよりも簡潔で、おそらく「漱石を読む」と言う方が好まれるでしょう。造語する場合も、そうした作用が働いているはずです。

以前、「むりくり」という言い方を聞いて、「無理やり、やりくり」してのことかと思いました。こちらは「さらなる」ほど使われていません。ピタッとうまくはまったのは「さらなる」の方でした。名詞を修飾する連体詞とされています。決して悪くない言葉です。