■西洋哲学の超自然的思考:日本のビジネスマンが学ぶべきこと

     

1 超自然的思考としての「哲学」

形而上学という用語は、文字を見ただけでは、意味が分かりません。木田元が『反哲学史入門』で、「自然を超えたことがらに関する学(=超自然学)」のことだと語っています(p.101)。何となくわかってくるでしょう。西洋哲学では中心的な原理でした。

▼超自然的原理は、「イデア」(プラトン)とか「純粋形相」(アリストテレス)とか「神」(キリスト教神学)とか「理性」(デカルト、カント)とか「精神」(ヘーゲル)とかその呼び名は様々に変わりますが、しかしどう呼ばれようと、生成消滅する自然を超え出た超自然的なものである pp..43-44

木田は[ソクラテス/プラトンのあたりからヘーゲルあたりまでのいわゆる超自然的思考としての「哲学」]は、日本人にはなじみのない思考様式だと言うのです。そして、この流れとは別の[自然の中にすっぽり包まれて生きている]哲学もあると言うのでした。

      

2 超自然的な原理は無効にならず

木田の言う「反哲学」というのは、超自然的思考としての「哲学」とは別の哲学、自然の中にすっぽり包まれて生きている哲学のことです。こちらの哲学なら、日本人にも違和感なく理解できるでしょう。この反哲学が、ニューチェ以降に力を持ち始めます。

プラトン以来の[超自然的な原理を参照にして自然を見るという特異な思考様式](p.25)をニーチェは批判しました。そして[西洋文化形成の根底に据えられたそうした思考法が無効になったということを「神は死せり」という言葉で宣言し]たのです(p.26)。

ハイデガーやメルロ=ポンティなどが、こうした発想を受けついでいると、木田は語ります。しかし現在でも、超自然的思考は西洋諸国で消えたわけではありません。基本は変わっていないはずです。それが現在の様々な問題に影響を与えています。

    

3 日本人は超自然的な原理を学ぶべき

木田の言う西洋哲学の超自然的な原理が、ある時期に弱くなったとしても、その思考の原理は消えてなくなりはしないでしょう。絵画の歴史を見ても、ある一瞬を切り取って、まさに印象を絵に定着させようとする印象派の絵は、その後、否定されていきます。

印象派の絵は今でも日本人に好まれていますし、日本人の感性に合うところがあるようです。しかし印象派の同時代以降の「ポスト印象派」の画家たちは、セザンヌもマチスも、一瞬を表現するのではなく、永遠を表現しようとしました。反哲学的ではないのです。

自然状態ではなくて、ある種の神の視点に立って、客観化した基準を持とうとする発想は、西洋諸国から消えそうにありません。ジョブ型の雇用形態の場合でも、ジョブの定義をすること自体、力を合わせてみんなで…という発想の日本人には違和感があります。

逆にいえば、私たちは、もう一度、[超自然的な原理を参照にして自然を見るという特異な思考様式][超自然的思考としての「哲学」]を学んでみる必要がありそうです。少なくともビジネスの世界では、日本流の自然的発想だけでは対処できそうにありません。