■哲学書の利用の仕方:『反哲学入門』を参考に
1 哲学の一筆書き
以前、公務員試験受験者向けに西洋哲学史の講義をしたことがあります。少しは原典を読まないと…と思ったのが間違いでした。何十時間も準備にとられて、素人には無理だと痛感しました。あのとき参考書に使ったのは岩田靖男『ヨーロッパ思想入門』でした。
この本はとてもよくまとまっています。いまでも哲学の入門書なら、この本がよいと思います。ただし、これだけで十分だとは言えません。講義のときに、興味のある人は木田元の『反哲学入門』もよいですよと紹介しておきました。ちょっと意味があったのです。
最近になって、イタリアルネッサンスのことを調べるうち、ギリシャ哲学のことで少し気になることが出てきました。いくつか本をチェックするうち、木田のこの本のことを思い出しました。哲学史を一筆書きにしている点に惹かれたのを思い出します。
2 自然を超えた原理
木田の本は口述筆記の入門書です。この本の「反哲学」という概念が、哲学の解毒剤になるのではないかと思います。第1章は「哲学は欧米人だけの思考法である」になっています。<日本に哲学がなかったからといって恥じる必要はない>と言うのです。
哲学は<自然に生きたり、考えたりすることを否定して>、<たとえばプラトンの言う「イデア」のような自然を超えた原理を軸にする発想法>で考えています。アリストテレスの「純粋形相」、キリスト教の「神」、デカルトの「理性」もその系譜です。
しかしソクラテス以前の思想家達は、<万物は自然だと見ていました>。英語の nature には人間と対置される自然という意味の他に、本性という意味があります。「歴史の本性(nature of history)」という使い方の方が、<古く、根源的なもの>でした。
3 哲学を気楽に学ぶ
ニーチェは、<プラトンやデカルトが典型的なかたちでおこなったような、肉体から浄化された「精神」を手引きにした超自然的(=形而上学)な世界解釈を否定>して、新たな解釈を提唱しようとしたようです。これが20世紀の思想家に受け継がれていきます。
哲学史の中核部分を日本人が理解するのはかなり難しいことのようです。実際、<デカルトの「理性」とわたしたち日本人の考えている「理性」の違いを意識している日本の哲学研究者はほとんどいない>という状況のようです。
それでも、<わたしもそういった理性はもちあわせておりますというふりをしなければなりませんでした>と木田は告白しています。素人には素人の強みがあります。判らないものはわからないと放り投げてしまえばよいでしょう。そうして強みを生かすべきです。
哲学書の中には、ヒントや考える際の補助線を与えてくれるものがあります。解説をみて興味をもったら、気楽に哲学書を読んでみるべきでしょう。わかった気になる程度の理解でも、貴重なヒントが得られることがあります。この場合、誤読で問題ないのです。