■目的語について

1. 英語の5文型

英語の5文型というのは、よくできているなあと思います。文を作るのに必要不可欠な要素の組み合わせから5つの文型ができあがっています。5つの文型は、すべて主語と動詞からなり、そこに目的語と補語が加わり、それぞれの文の基本的な意味が決まっています。たった4つの要素を組み合わせて、文を類型化しているのは見事です。 以上のことは、ご存知のことと思います。念のため、5文型を記しておきましょう。 第1文型 主語+動詞 第2文型 主語+動詞+補語 第3文型 主語+動詞+目的語 第4文型 主語+動詞+目的語+目的語 第5文型 主語+動詞+目的語+補語 しかし、こうした形を日本語にそのまま持ち込むことができるでしょうか。言葉の体系が違いますから、難しそうです。日本語の文のルールを作るときに、日本語と英語の違いをどう扱ったらよいのか、悩むところでしょう。 英文に付された日本語の訳文を見るにつけ、英語との齟齬を感じざるを得ません。しかし、主語や目的語という用語は、しばしば使われます。 以下、目的語の概念が日本語の文を理解するときに、役に立つのか、考えてみたいと思います。

2. 日本語における目的語

英文の目的語に該当する語句の日本語訳を見ると、目的語には「を」をつけるのが原則になっているようです。多くの場合、「を」をつけておけば目的語らしくなります。目的語とは、助詞「を」が接続する語句である、と言えそうな気さえします。 しかし、「を」がついたからといって、目的語といえるのか不安になる文もあります。たとえば、「私はこの道を行きます」という文章の「この道を」というのは目的語なのでしょうか。微妙です。 逆に「を」をとらない場合、それが目的語とは違うのでしょうか。どうやって判別したらよいのでしょうか。「私たちはこの技術が欲しいのです」というときの「この技術が」は目的語と言ってよいのでしょうか。 あるいは英文の場合、He married her. なら「her」は目的語だとされます。この英文の日本語訳は、「彼は彼女と結婚した」となりそうです。この文の「彼女と」は、日本語では目的語とはいえないだろうと思います。 日本語の目的語が、英語と違うのは当たり前のことです。大切なことは、目的語という概念を使って日本語の文を考えるのは妥当なのか、その利点はどのくらいあるのか、ということだろうと思います。

3. 必須要素は主体・述部・焦点

日本語の読み書きについて考えるときに、目的語という概念が役に立つものなのでしょうか。私は疑問に思っています。日本語における「目的語」という概念が明確になっていない点が気になります。不明確な概念を使うことは、好ましくないからです。 以前、日本語の述語を品詞によって3分する通説について、疑問を投げかけたことがあります([が]と[を]の使い分け)。なぜ、名詞述語、形容詞述語、動詞述語という風に品詞で述語を分類しなくてはいけないのか、よくわからないのです。 「私はピアノを弾いた」と「私はピアノが弾ける」の述語は、ともに動詞です。私という主体も同一で、「ピアノ」という楽器も共通しているのに、接続する助詞が「を」と「が」に分かれています。その分かれ方に意味があると思います。 行為に結びついている場合、「を」が接続されます。状態や情景を表すときのように、行為に結びつかない場合、「が」が接続されます。このように、日本語に即した分け方を採用すべきでしょう。 日本語は、膠着語と呼ばれます。語句を助詞によって糊付けしていく言語です。糊である助詞の接続の仕方によって、語句の意味が変わります。品詞よりも、助詞の違いが大切なのです。 こうした点から日本語文の必須要素を見ると、あえて目的語と補語という2つの概念を使う必要性はないように思います。主述の対応関係は日本語の論理の基礎になりますから、主体と述部という概念は必要だろうと思います。しかし、それ以外の必須の要素は、助詞の接続によって分類すれば足ります。 日本語で必須要素と考えるべきなのは、主体と述部ともう一つです。このもう一つの必須の要素に、「焦点」という名前をつけてみました。「文を成り立たせるために主述関係以外に焦点を当てる必要のある必須の要素」という意味です。 日本語文の場合、焦点のあり方によって3つの文型に分かれます。 (1) 焦点を取らない文型 (2) 焦点に「が」が接続する文型 (3) 焦点に「を」・「に」のいずれか、ないし両方が接続する文型 目的語というのは、なかなか魅力的な概念です。しかし、概念の明確性に問題があります。また、その概念を使わないと不都合になる特段の役割があるとは思えません。日本語文のルールを考えるときに、目的語という用語に頼るのは、好ましくないと思います。