■メモの効用:少数になったメモを取る人

1 少数になったメモを取る人

先日、シンポジウムに参加してきました。久しぶりのことです。大勢が参加する講演が午前中から複数あり、そのあとにテーマごとの小さな講演がたくさん並んでいました。これが夕方まで続きます。いま、関心を集めている生成AIについての話がほとんどです。

驚いたのは、メモを取る人がごく少数になっていることでした。録音や録画は禁止ですが、メモは禁止されていません。お話を聞いて、良いと思ったことは、メモをしておくのが当たり前のことになっていました。しかし、もはやこれが当たり前とは言えません。

話の内容がいいものだったなら、良いところをメモしておけば、あとでその内容を振り返ることができます。記憶は案外あてになりません。大切なものほど、思い出せないということがよくあります。話に関連して思いつくこともありますから、メモは大切です。

     

2 講演のあとどれだけ記憶に残っているかが問題

今回のシンポジウムの中でも、一番印象に残った講演がありました。懇親会に出席したときに、この講演のことを何人かの方々に聞いてみると、皆さん良かったとおっしゃいます。ところが、アッと思いました。あまり内容について覚えていない様子なのです。

メモをしていなかったからではないかと思いました。気になったり、良いと思うところを、紙に一度書いておけば、記憶に残ります。聞きながらメモする習慣がないと、良かった印象は残っても、具体的な話になると、その日のことでも、わからなくなるようです。

これが数日たったら、どうなるのでしょうか。何が良かったのか、いつくかの断片しか残らなくなるかもしれません。何だか頼りない話になります。たいてい結論だけしか記憶に残らないのでしょう。これでは、ここから話が発展していくことは期待できません。

    

3 メモの効用

良い話の場合、これはどうなるという結論だけでなく、その理由や、具体的な事例が示されるのが一般的なことです。結論、根拠、事例というのは、一番の骨格になっています。これらの点を、三点セットのように覚えておけるのは、ごく少数の人のようです。

この分野についてよくわかっている人達は、パッと頭にとどめて置けるのでしょう。すでにある程度知っている人です。今回も、メモなどしていそうもない人が、大切な点について、スパッと指摘していました。講演者の著書も読んでいた、その分野の専門家です。

よほどわかっている人なら、メモは必要ないのかもしれません。しかし、たいていの人にとっては、メモが頭を働かせてくれる道具になります。何度か場数を踏まないと、きちんとしたメモは取れません。メモが取れるようになったら、実力がついたとみなされます。

メモするということは、理解した内容を言語化する練習になっているのです。話の内容のままにメモしたり、話をまとめてメモしたり、理解と言語化の繰り返しになります。メモを見返せば、話の良し悪しとともに、自分の理解も判定することができるのです。