■分析的論理と知覚認識:ドラッカーとパースのアプローチ

      

1 分析的論理と知覚的認識の双方が不可欠

ドラッカーの「未知なるものをいかにして体系化するか」は、1957年の『変貌する産業社会』に収められていたものです。いまは『テクノロジストの条件』所収されています。大切な論考でした。[分析する前に知覚すること]が必要だと主張します(p.16)。

ドラッカーの主張は安定したものですが、ここで言う「知覚」が曲者です。おなじ『テクノロジストの条件』13章「分析から知覚へ」(元版は、1989年『新しい現実』)では、[これからは、分析的論理と知覚的認識の双方が不可欠となる](p.236)と記していました。

ただの「知覚」ではなく「知覚すること」であり、その「知覚すること」とは「知覚的認識を持つこと」です。知覚的認識とは、何かを感じとり、その実態や意味を理解し把握することと言えます。理解し把握したものは、言葉で表現できることが必要です。

      

2 アブダクションは「未知なることを体系化する」方法

人間が知覚的認識を持った場合、それをアウトプットすることによって、自ら検証することが可能になります。言葉での表現が思考を可視化するのです。表現の元になるのが、分析的論理と知覚的認識であり、従来は分析的論理に傾いていたという指摘でした。

では知覚的認識をどういう方法で行うのが良いのでしょうか。これが前回触れたパースのアブダクションということになります。[あたらしい観念を導入する唯一の論理的な操作](p.119:『プラグマティズムの思想』)であると、パースは語っていました。

このことは、ドラッカーの言うことと響きあいます。「未知なることを体系化する」とは、新しいアイデアをモノにする方法ということでしょう。分析でなく、洞察からスタートして、それを検証せよと、ドラッカーは論じたのでした。その方法がアブダクションです。

     

3 洞察の正しさを検証する方法

パースのアブダクションは、ドラッカーの知覚的認識の方法としても使えるということになります。ただしドラッカーの場合、さらに別の観点も含んでいるかもしれません。それは「体系化」という用語を、どういう概念であると考えるかにも関わってきそうです。

ドラッカーは「体系化」という用語を、「成果を上げる仕組みにすること」と捉えていたように思います。体系とは、成果を上げる仕組みになっていることです。成果が上がらなかったら、仕組みに不備があるということになります。それは「体系化」の失敗です。

ドラッカーのいう「体系化」とは、形式的な概念というよりも、実質的な概念であるということになります。成果が上がる仕組みになっているということは、どういう形式になっているかではなくて、実践できて、成果が上がることだということです。

もし「未知なること=新しい洞察」を、「体系化=成果を上げる仕組みにすること」ができたなら、実践して成果を見ることによって、洞察の正しさが検証できことになります。検証の方法にも、論理的なものと実践的なものの双方が必要であるということです。