■デッサンをめぐる画家の発言から:実体を見出す訓練

     

1 入試項目からデッサンを廃止した結果

絵の基礎となるのは、デッサン力だろうと思います。美大の入試にデッサンは必須でしたが、芸大では、あるときからデッサンの項目がなくなりました。デッサンは基礎だから、やるのは当たり前で、その先を見るという発想があったとお聞きしたことがあります。

どうやらデッサンの廃止というのは、野見山暁治さんが主導したようです。あとになって、あれは失敗だったとおっしゃったとのこと。デッサン廃止後の2年くらいは面白い作品が出てきたけれども、そのあと予備校が対策を立ててきて、一気につまらなくなったと。

野見山先生が、基礎となるデッサンをやらなくなるとは思わなかったと言っていたそうです。しばらくするうちに、審査する美大の学者たちの側が、学生のデッサンを見て、良い悪いの判定ができなくなってきたということでした。画廊のオーナーから聞いた話です。

      

2 日本人のデッサン力

現在の美大生が、かつてほどデッサンをやらなくなっているのは、間違いないのでしょう。美大生自身がデッサンをあまりやっていないと語る例が、めずらしくありません。しかし笠井誠一さんは、そもそも日本には、きちんとしたデッサンがないと言っていました。

日本人は、線を選んでいないと言うのです。あいまいな線でフニャフニャな感じのものは、あれはデッサンではないと切り捨てていました。すっとした線で描けないといけないと言うのです。画家に対して、厳しい話をしていたのを間近で聞いたことがあります。

別の画家が、やはり日本人はデッサン力が弱いと語っていたことを思い出しました。人体についてのことでしたが、日本人は目の前にモデルがいないと、形が取れない、デッサンをやっていたら、モデルなしに描けなくては本物ではない、という話だったと思います。

     

3 実体を把握して表現すること

どうやらデッサンというのは、目の前の形を写し取るだけではなくて、その対象となるモノを分析して、どういう実体を備えているのかを見出すことが必要になるもののようです。何度もデッサンをして、実体が見い出せたなら、モデルなしでも描けることでしょう。

見たままを描くのではなくて、対象がどういう構造を持っていて、それがどう見えるのかを分析的に見ないと、デッサンにはならないようです。対象が見えているかどうかを、デッサンで判定できないと、デッサンの良し悪しがわからないということになります。

あるいは人体のように、何度も見ているものなら、描いてみれば、本当に見えているのかどうか、明らかになります。モデルなしに、こういう形を描けと言われれば、デッサンをやった人なら、人体の共通要素を組み合わせて、描けるということでしょう。

見ることは、単に見えているものだけを相手にするのではなくて、その対象の実体がどうであるのかを分析して、要素や構造まで把握する必要があるということのようです。そのためには、まず分析しようとしない限り、見えてこないということになります。