■実力をつける生き方の典型モデル:高橋英郎『モーツァルト』から
1 旅人モーツァルト
高橋英郎『モーツァルト』の「1ー旅人モーツァルト」に、13歳の時に最初のイタリア旅行のことが出てきます。[当時のヨーロッパの道路は][悪路につぐ悪路で、どこまで続くぬかるみぞが普通であった](p.23)とのこと。無事に目的地につけば御の字でした。
飲める水もなく、[部屋は寒く、ベッドは湿っている使える代物ではなかった](p.24)そうです。こうした悪条件の中、イタリア・オペラと出会います。[ザルツブルクには、オペラ劇場もなければ、オペラの作曲家もいなかった](p.25)のでした。
父のレオポルトが息子を連れてイタリア旅行をした目的は4つあるそうです。第1に、イタリア・オペラの作曲家にすること、第2に、ローマ学派の伝統的な対位法を完全なものにすること、第3に、ミラノの器楽法を吸収すること、そしてもう一つが大切でした。
2 モーツァルトというインターナショナルな存在
[イタリア旅行の第四の目的は、イタリアのどこか主要都市で、レオポルトはヴォルフガングに安定した地位をーー出来るなら学長職をえさせたいと考えていた](p.28)のです。しかし[モーツァルトの生涯はその失敗の連続](p.29)でした。これが良かったのです。
▼ロンドンではクリスティアン・バッハやヘンデルを学び、パリではフランス喜歌劇やグルックを学び、マンハイムではマンハイム学派の優れた器楽法を学び、ウィーンではヨーゼフ・ハイドンやセバスティアン・バッハを学ぶ、ーその多様性がモーツァルトをどれだけインターナショナルな存在にしたか測りしれない。 p.29
大バッハは[ドイツから国境を超えていない]し、[ヘンデルでさえも真の意味の国際人ではなかった]、ハイドンも、ベートーヴェンも同様です。一方の[モーツァルトは(イベリア半島を除く)十八世紀のヨーロッパの音楽のすべてを吸収し]たのです(p.29)。
3 実力をつける生き方の典型モデル
高橋は、モーツァルトを、全ヨーロッパの音楽を吸収して[自己の音楽を作り出した、史上初めてのインターナショナルな存在]だと言います(p.29)。[彼は物心ついてからの三十年間、人生のほとんど三分の一を旅に費やしている]のです(p.30)。
これらから私たちは、何を学べるでしょうか。人それぞれで違うはずです。価値のあるものから、広く学ぶべきだという点は異論ないでしょう。モーツァルトほどの才能がなくても、現在では、学ぶ機会が容易に得られます。才能不足も幾分かカバーされるでしょう。
しかし、モーツァルト一家の必死な態度が印象的です。セバスティアン・バッハやベートーヴェンが、国際人でなくても大作曲家になったのですから、旅は不可欠な要因とも言えません。ひたむきに何かを求める姿勢が、不可欠な要素だったのかもしれません。
モーツァルトの音楽を思い浮かべると、その音楽の形成がどうなされたのかに、無関心ではいられなくなります。そしてこの一筆書きのような高橋の記述が、思い浮かぶのです。単なる勉強法ではなくて、実力をつける生き方の典型的なモデルという気がします。
