■20世紀絵画で飛び抜けた画家・マティスのアプローチ:高階秀爾『近代絵画史(下)』から

     

1 新しい芸術を作り上げる試み

小説にしても、クラシック音楽にしても、20世紀に入って、急速にピークを打ったと感じさせることになりました。油絵の世界も、同様です。しかし20世紀に書かれた解説書を見ると、現代音楽の比率が異様に大きく、20世紀美術の扱いが多すぎるのに気づきます。

まだ20世紀が終る前には、冷静な評価ができなかったのかもしれません。高階秀爾『近代絵画史(下)』は、1975年に出版された本です。世紀末絵画からスタートしています。今から見れば、ゴヤからポスト印象派までの上巻とは比較にならない対象に見えるはずです。

著者の本来の意図とは違うかもしれませんが、苦労して新しい芸術をつくり上げようとした試みを振り返るのに、下巻は役に立ちます。戦争が影響を与えすぎたのかもしれません。様々な試みは、ひどく人工的であり、歴史的な価値のほうが大きくなっています。

     

2 世紀末パリで変化の胎動

1890年代の世紀末のパリは、自他ともに認める不動の[ヨーロッパの芸術の中心](旧版 p.115)だったのですが、[二十世紀絵画の誕生に決定的な役割を果たしたセザンヌ、スーラ、ゴッホ、ゴーギャンという四人の巨匠に関する限り、「空白」状態]でした(p.3)。

ゴッホもスーラもすでに亡く、セザンヌはプロヴァンスに引き込み、ゴーギャンはタヒチに行ってしまいます。それだけでなく[世間的な評価からいえば、セザンヌにしてもゴッホにしても、この時期にはまだほとんど顧みられなかった]という状況です(p.4)。

しかし、1899年にスーラの理論を歴史的に位置づけたシニャックの『ウジェーヌ・ドラクロワから新印象主義まで』が刊行され、1900年にドニの≪セザンヌ礼讃≫が描かれ、1901年に[ゴッホの大がかかりな回顧展が開かれ](p.7)ました。変化の胎動が見られます。

     

3 自由な主張を新しい秩序で整える「豊かさの秩序」

様々な試みがなされました。それらがすべて成功するはずもありません。いまでは顧みられなくなります。その中でマティスは飛び抜けたようです。マティスは、どんな画家だったのでしょうか。高階は、マティスが[明晰な知性の画家であった](p.46)と言います。

[彼は革命家であったが、冷めた革命家であった。そして、革命家としての彼の情熱は、古い秩序を破壊することよりも、新しい秩序を作り出すことの方に向けられた](p.47)のでした。表現を重視したマティスは、自由と新しい秩序をつくろうとします。

▼それぞれの色彩ができるだけ強く自己を主張しながら、しかも全体のバランスを乱さないという見事な離れ業が見られる。そして、このような豊かさの秩序とも言うべきものは、マティスの全生涯を通じて、一貫して認められるものなのである。 p.48

マティスは、「コンポジションとは、自分の感情を表現するために、自分の自由になるさまざまの要素を装飾的なやり方できちんと整える術のことだ」と語っていたとのこと(p.38)。自由な主張を新しい秩序で整えたところに、成功のエッセンスがあったようです。