■絵の基礎となるデッサンについて:涙が出るほど粘ること
1 量が質に変わるという考え
もう20年も前のことですが、磯村敏之先生に絵を習っていました。先生の場合、本格的に絵を習っていないのに、全国の学生コンクールで優勝したような人ですから、絵を描くのにそう苦労したことがなかったようです。つぎつぎ絵を描いていました。
亡くなった時、アトリエには描きかけの絵が10枚くらいあったと思います。クロッキーもたくさん積みあげてありました。背丈ほど描けば、何とかなるとおっしゃったという話を何度か聞いたことがあります。そのためには早く描かなきゃいけないとのことでした。
早く描いても質が落ちないように、先生は何らかの方法を持っていたようですが、このあたりは個人の資質にもよるらしくて、誰も継承していません。量が質に変わるという考えが基本的にありました。ご本人にとっては、それが正しかったようです。
2 涙が出るほど粘らなくてはダメだ
先日、山口実先生にデッサンのことを聞きました。まだ完成していないけれども、これはダメだと思うデッサンがありましたので、完成させるまで粘ったほうが良いのか、新しいものを描いた方が良いのかと聞いたのです。粘らなきゃダメだとのことでした。
デッサンの場合、もう一度描いても、またうまくいかないはずだから、いまのものを修正できなくては、いくらやってもピタッと行くようにならないということです。涙が出るほど粘らなきゃダメだとおっしゃいます。ご本人もそうしてきたとのことでした。
油絵と違って、基礎になるデッサンの領域ではピタッと行ったかどうか、ある種の正解があります。縦横比が違っていたら、デッサンならばダメです。おかしかったら修正しなくてはいけませんし、それができなくては、新しく描いてもうまくはいかないでしょう。
3 盤石な基礎があってこその表現
磯村先生のクロッキーは、ある種の魅力がありました。風景のスケッチの場合、お見事というしかありません。これらはデッサンではありませんから、縦横比がピタッと合っているわけではないのです。しかし絵としての魅力は、それとは別でした。
磯村先生は、デッサンをほとんど描いたことがないとおっしゃっていたはずです。風景が得意でした。そこでの建物や人物は、何とも言えず雰囲気を出しています。しかし、もとになった風景の写真を見たときに、アッと思うほど、正確なところがありました。
どうやら正確に描く気なら、描けるだけの基礎があったようです。練習しなくても、十分な程度のデッサンができたのかもしれません。それなくして、あの魅力は出せない気がしました。他の画家の絵を見ていても、基礎が盤石でない人の絵は不安にさせられます。
基礎のデッサンには、ある種の正解がありますから、自分でも目をそむけたくなりますが、これができなくては、その先はないのだと改めて思いました。デッサンを軽視しすぎたようです。基礎が盤石でなかったら、自分の狙った表現もできるはずはありません。
