■ミケランジェロの思想と知識:シャルル・ド・トルナイ『ミケランジェロ 芸術と思想』から
1 ミケランジェロに関する優れた講演録
ルネサンスの評価は、必ずしも定まったものではなさそうです。しかし少なくとも美術に関しては、圧倒的な成果物がありますから、その意義は否定できません。レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)は天才的な芸術家として、ある種の究極を示しました。
ミケランジェロ(1475-1564)は長生きで、時代を象徴する人物ともいえます。概要は、シャルル・ド・トルナイの『ミケランジェロ 芸術と思想』で知りました。大切にしている本です。コレージュ・ド・フランスでの講演をもとにしています。
ミケランジェロはイタリア国家という概念をもたず、[祖国は、自由都市国家フィレンツェでしかなかった](p.9)。作品には[プラトン学派と新プラトン学派の影響がみられ](p.52)、システィナ礼拝堂では[創世記をプラトン哲学風に解釈]しています(p.69)。
2 芸術作品は自然を模倣したもの
『最後の審判』は[太陽を中心とした宇宙の壮大な光景](p.85)であり、[大宇宙を意のままに統合できる不思議な力をもった太陽=キリスト]という[宗教的宇宙観を独自の方法で創造することに成功した](p.86)ものです。天動説でなく地動説にあたります。
これは[古代人がすでに明確に述べていた太陽中心説を復活させた]もので、[1543年のコペルニクスの発見の公表より七年早い]のでした(p.87)。[ルネサンス期においては、世界観を表現するための主たる手段となり得たものは美術であった](p.93)のです。
[ルネサンスの芸術理論によれば、芸術作品は自然を「模倣したもの」で]した。範例の模写でなく、対象物を自然に据えた[自然の創造的過程の模倣]は[芸術作品においてこそ解明されるべき]もので、[自然の法則を探究するための手段]となります(p.141)。
3 芸術が科学となった時代
[芸術は一つの科学]となり、そのため[芸術家たるものは、数学、幾何学、物理学、力学、そして哲学の諸分野によく精通していなければならなかった](p.141)のでした。ただ15世紀後半には、[近代科学的方法は、まだ発見されていなかった](p.142)のです。
芸術家が[可視的世界を芸術的に再現する]とき、[「精密さ」、「正確さ」]が根本問題となりました。世界を[「正確に」再現するために、遠近法と解剖学とが用いられた]のです。ミケランジェロも[こうしたルネサンスの伝統を受け継いでい]ました(p.142)。
しかし[人体の解剖と遠近法に関する十分な知識]は、[理解できる世界、「真のリアリティー」、あるいは「本質」を再創造する]という目的の[一つの手段]にすぎません(p.142)。[目に見える形態は理念(イデア)から生じたもの]との考えが基本です(p.149)。
[外部対象とその対象の内部にある理念]との[精神的な釣り合い]がすべてに求められます(p.150)。[目の中にコンパス]のある[観察する眼]が必要です。[手は仕事をするけれども、目は判断を下す](p.151)と考えました。知識はここから生まれたのです。
