■哲学は経営学の基礎ではなかったのか:経営学の本への違和感

     

1 高校生のレポートレベルの解説

西洋哲学について、特別に詳しいわけではありませんが、しかし、ときどき何だか変だと思うことがあります。野中郁次郎+竹内弘高の書いた『知識創造企業』の場合でも、西洋哲学史の切り取り解説が、10頁足らずの埋め草のように挿入されていました。

何でこんな拙いものを載せたのか、わかりません。何冊かの哲学の概説書を読んでいれば、もっとまともなものが書けたはずですが、どうしたのでしょう。高校生の夏休みのレポートとしても、あまり優秀でないレベルの文章ですから、ただただ驚くばかりです。

英文で出された本らしく、訳者が記されています。この本については、もういいでしょう。西洋哲学の部分について、何も知らないのなら、専門家に聞けばよかったのにと思います。相談すれば教えてもらえるだけの知名度のある方々だったはずでしょう。

     

2 哲学書の断片と概説書

西洋哲学の本は、頭の体操のために、ときどき読みます。よくわからないままですから、大著をすべて読むなどということはしません。自分流の読み方で、誤読しながら、興味のある部分を飛ばし読みしています。概説書を読む時に役立つ程度のことです。

実際のところ、自分流の読みでは全くアテにならないので、概説書が必要不可欠になります。いままで、自分流の読みが、完全な間違いだと知ることができる程度に、断片的に読んできました。あるいはまた、概説書で興味のある部分を見つけることもあります。

有名な一節を含む前後を読むという程度でも、西洋哲学の概説書が何冊かあれば、興味を引かれる領域が見つかることでしょう。ひいきの哲学書といいたくなる本も出てきます。とぎれとぎれの読書でも、印象的な断片が見つかるため、思考が刺激されるのです。

     

3 経営学の本に対する違和感

かつては哲学の貧困という言い方がなされました。最近はあまり聞かなくなっています。ある種の哲学があるかないかということでしょうが、基礎的な哲学、それも西洋哲学の知識があると、少なくとも哲学的な雰囲気を漂わせる程度のことはできます。

そして、自分の書いたものが雰囲気にすぎないのか、概念として洗練していけるものなのか、判断のヒントとなるはずです。それだけで、ずいぶん楽になります。また本を読む時に、ささやかな断片であれ、哲学の思考があるかどうかの判断の基礎になるはずです。

最低限の哲学史的な知識があれば、ビジネスだろうが、学問だろうが、語られたり書かれたりしたものに、哲学があるかどうかという切り口を与えてくれます。ただの引き写しではない、何らかの対象に対する興味の連関があることが大切だということです。

経営学、マネジメントの領域では、哲学が大きな影響を持ってきました。しかしそれらは意識されていないことのようです。最近の経営学の本に、哲学的な雰囲気など、感じられないのが普通でしょう。これが学問として弱いように思われて、違和感になっています。