■イギリス経済の近代化:ロビンソン・クルーソーは国際貿易商人の典型
1 大塚久雄の『ロビンソン・クルーソー』解説
大塚久雄の『社会科学の方法』と『社会科学における人間』は名著と言われています。イギリスの近代化に関して、デフォーの『ロビンソン・クルーソー』を使って解説した後者の章は、定番のテキストでした。講演録なので、お手上げというものではありません。
今では、ほとんど読まれなくなっています。1966年と1977年の本ですから、仕方ないのかもしれません。しかし問題は内容の方です。きれいにまとまっているのですが、玉木俊明は『先生も知らない世界史』で、大塚の前提が間違っていると指摘しています。
[大塚によれば、ロビンソン・クルーソーは、元来、冒険的な商人]でした。しかし孤島での生活により[合理的な計算をした生活を営む]、[当時台頭しつつあった農村工業を営む中産階級そのもの]になったと論じています。これが大塚の前提でした(p.150)。
2 ロビンソン・クルーソーは当時の商人の代表
玉木は、[ロビンソン・クルーソーは当時の商人の代表であって、決して農民の代表ではありません。彼の生活様式、さらには生涯そのものが、国際商業に従事した商人の人生を体現している]と記しています(p.151)。農民の生活様式ではないということです。
たしかに[農民の生活そのもののように思われます]が、同様の[合理性は、商人にもあ]りました。[商人は、できるだけ商業のリスクを少なくするために、できるだけ経済合理的な活動をしたからです](p.151)。この点では、共通の生活様式がありました。
しかし、ロビンソン・クルーソーは[誰のものかわからない土地に漂流したのに、「ここは俺の土地だ」と宣言]する点で、[ヨーロッパ人の帝国主義の特徴を表]しています(p.151)。こうした思考は、農民の生活様式からは出てきません。農民ではないのです。
3 ヨーロッパ商業のあり方を知るテキスト
玉木は言います。[損益計算書を作成し、簿記や日記をつけるのは、当然ながら、商人の特徴です]。商人は[綿密にリスクを計算し、その上で冒険的事業に乗り出す]、リスクを[出来る限り少なくすることが重要でした](p.152)。大塚の前提は違いました。
大塚は[農村の毛織物工業からイギリス近代が生まれたと考え]、ロビンソン・クルーソーは[代表的な農民であるという前提]に立ったのです(p.152)。しかし実際には、[当時の国際貿易商人の典型であった]ということになります(153)。
[ロビンソン・クルーソーは、北海・バルト海・地中海・大西洋を行き来した国際貿易商人であった]ということです(p.155)。こうした[商人は引退すると、商業で儲けたお金で土地を購入し、地主になって余生を送]るのは[頻繁にみられました](p.154)。
大塚の前提は違っていたのですが、国際貿易商人の典型だという前提に立って[『ロビンソン・クルーソー』を読むことで、ヨーロッパ商業のあり方がわかる]と玉木は言うのです。『ロビンソン・クルーソー』は1719年に刊行されました。読んでみたくなります。
