■息切れした『ポスト資本主義社会』:ドラッカーも歳をとる

      

1 無理のある「ポスト資本主義社会」

ドラッカーの『ポスト資本主義社会』は、1992年に書かれました。資本主義が終わり、次にどんな社会がくるか…という本ではありません。[ポスト資本主義社会そのものが、どのようなものとなるかについて予見することは、いまだ危険である](p.25)とあります。

少なくともポスト資本主義社会が「マルクス主義社会」にならないことは確かです。そして、現在の社会をあえてどう呼ぶかと言えば、資本主義社会ということになります。ポスト資本主義だというのは、少し無理があるでしょう。別の観点から読むべき本です。

他のドラッカーの本よりも、ずいぶん多くの文献に言及があります。それに対するコメントは、なかなか興味深いものです。たとえば堺屋太一の『地価革命』への言及があります。本当にきちんと読んだのだろうかというような、見当はずれのコメントでした。

      

2 小説に現れる社会変化

ドラッカーがヨーロッパ人だと思わせるものに、ジェーン・オースティンの著作に[工場、工場労働者、銀行家は、現れない](p.67)が、バルザックの小説は[銀行家と証券取引所に支配されるフランスの資本主義社会を舞台]とするとの指摘があります(p.68)。

[その15年後、資本主義、工場、機械とともに、資本家とプロレタリアという二つの新しい階級が、チャールズ・ディケンズ]の作品に現れます(p.68)。19世紀半ばのことです。その頃からすると、社会は大きく変わっています。しかし資本主義のままです。

一方、20世紀初めにマックス・ウェーバーが[「資本主義」は「プロテスタントの倫理」の落とし子であると言った。しかしこの有名な説も、今日ではほとんど信憑性を失っている。この説には、十分な根拠がない](p.60)とあります。ドラッカーの言う通りです。

      

3 宗派を超えた共同事業の増加

『プロテスタンティズムと資本主義の倫理』はまだ日本では現役ですが、玉木俊明『人に話したくなる世界史』にも、経済成長したのは[プロテスタント諸国だけの専有物ではなく、カトリック地域でも、大きな経済成長があったことがほぼ定説](p.87)とあります。

▼経済史の観点からすると、近代ヨーロッパの経済成長をもたらしたのは新世界、アジアなどへの対外拡大による商取引の飛躍的な増加に他なりません。そして、この時期、カトリックの商人もプロテスタントの商人も、共に商業活動を活発化させたのです。 p.87

[ヨーロッパ内部でも、カトリックとプロテスタントが共同して商業活動に従事していた]上、[ヨーロッパを離れた大西洋貿易となると、宗派を超えた共同事業の件数が増加するのです](pp..87-88)。現在、こうした共同事業が世界で拡大していると言えます。

ドラッカーは大きなテーマに取り組んで、息が切れた感じがします。ウェーバーへの言及も、あっさり済ませて、「知識」の意味に話が流れていきました。がっかりするような、つまらない著作でした。ドラッカー後期の著述でよいものは、論文にあると思います。