■メモを取る論理:ノーベル賞受賞者の福井謙一の「私の履歴書」から
1 メモを取る人・取らない人
人の話を聞くときや、何か思いついたときのために、メモとペンを用意している人がいると思います。その一方で、メモなんて必要ないという人がいるのもご存知でしょう。大切なことは、メモなど取らなくても覚えているものだという主張を聞いたことがあります。
この種のことは、その人の考えですから、どうしなくてはいけないということはないでしょう。たんに自分はメモを取るとか、取らないというだけです。しかし飛び抜けた能力をもつ人達は、まず間違いなくメモを取ります。取らない人は、よほどの例外です。
これは習慣ですから、もうどうしようもありません。メモがないと落ち着かなくなるタイプの人がいるはずです。私自身もそのタイプに該当します。とにかく思いつきが消えてしまうのです。メモしておかなかったら、忘れてしまいますし、それが発展しません。
2 忘れてしまうようなアイデアこそ貴重
忘れてしまうものを残しておきたいために、メモを取ります。忘れるものの中に、大切な思いつきがあるはずだという考えです。最近、いい事例を見つけました。『私の履歴書-科学の求道者』に所収されたノーベル賞受賞者の福井謙一先生の文章にあります。
▼昔も今も、私は夜中や未明になにかを思いつくことが多い。そのため寝室には必ずメモ用紙を用意しておく。暗やみのなかで走り書きする技術も手慣れたものだ。また習慣になっている明け方の散歩の折も、手帳を携行するのが常である。 p.200
なぜメモするのでしょうか。[私の経験からすると、だいたい、メモをしないでも覚えているような思いつきにはめぼしいものはない。メモをしないとすぐに忘れてしまうようなアイデアこそ、貴重なものである](p.200)。万歳!…と言いたい気分になりました。
3 再現できる形式のメモと、その展開
福井先生が、フロンティア理論でノーベル賞を獲ったことは知っていますが、実際のところ、先生の学問については、わかっていません。しかし、「メモをしないとすぐに忘れてしまうようなアイデアこそ、貴重なもの」という発言は、特別に響いてきました。
自分のささやかな経験が、裏づけられたようでうれしかったのです。忘れてしまったものの中に、大切な思いつきがあったはずだという思いが、残っています。もはや思い出せなくて、どんなことだったかさえ覚えていませんが、苦い記憶がありました。
メモに慣れてくれば、まさに「走り書きする」ことになります。そして、書き取れたものを、もう一度見るでしょう。私の場合、大したことないものがほとんどですが、ここで重要なことは、書かれた内容が、どんなものであるかが分かる記述にしておくことです。
メモを見て、思いつきが頭の中に再現できなくては、メモの役割を果たしません。各々レベルは違いますが、(1)大切なことを忘れないようにメモする、(2)その内容が再現できる形式にしておく、(3)必要に応じて、それを展開していく…ということになります。
