■「ポスト」考:ポスト・モダンがいまだ存在しない理由
1 「ポスト・インダストリアル社会」
ポスト・モダンという言葉が、かつて流行りました。何となく目新しいコンセプトのような気がしたものです。ところが、その実態は明確にはなっていません。それよりも前に、ダニエル・ベルが『ポスト・インダストリアル社会の到来』を1973年に書いています。
『社会変動の中の福祉国家』で富永健一は、ベルが[出版に先立つ1970年に、世界の社会学者たちの意見を聞くために、スイスのチューリッヒに小規模の国際会議を組織した](p.7)と記していました。富永もこの会議に出席して、ベルに直接、質問しています。
富永はベルに、[現代はまさに「産業社会」そのものであり、ゆえに「ポスト産業社会」という表現は適切でない、と主張した]そうです。ところが、ベルの答えはズレたものでした。[自分のいったことがベルにうまく伝わらなかった](p.8)ようです。
2 新しい段階と「ポスト」
ベルと富永のすれ違いは、「インダストリアル」という言葉にありました。富永が「ポスト産業化」という表現を不適切だと主張したのに対し、ベルは[1960年代後半から、第三次産業の従事者比率が50%を超えるにいたっている](p.8)という答えだったのです。
富永は、ベルが[「ポスト工業化」を説くことによって、産業社会を否定してしまう意図をまったくもっていないことを了解した]のでした(p.8)。「ポスト工業化」によって、「近代産業社会」に[新しい段階が到来したことを意味する]と理解できます(p.9)。
[英語の“industry”には「工業」と「産業」の使い分けはない](p.8)そうです。また
「産業化」(industriliztion)とは[経済の近代化]を表しますから、[すでに近代化が含まれており、[近代産業社会]という言い方にはじつは重複がある]のでした(p.5)。
3 概念の大きさが問われる「ポスト」
富永は、[近代化(modernization)という語を、経済の近代化、政治の近代化、社会の近代化、文化の近代化を含む広い概念]と考えています(p.5)。べつに特別な立場ではないでしょうし、妥当なものでしょう。こう考えると、ポスト・モダンは成立しません。
近代化を推進した概念が、ある時から変容して、新たな概念がさらなる近代化を推進しているとみられる場合、「新しい段階が到来したこと」は間違いないでしょう。しかし、それによって「近代化」自体が終わったことにはなりません。連続性があります。
「近代化(modernization)」という概念が大きすぎたようです。明治維新以降を近代化、第二次大戦後を現代化とし、両者が非連続だとするならば、「ポスト近代化」=「現代化」とも言えるでしょう。しかし連続性を認めるなら、ポスト近代化とは言えません。
やや小さくて有力な概念にこそ、ポストがつきます。絵画におけるポスト印象主義ならば、ある時期を圧倒したイズムの、その次の有力なイズムですから、ポストがしっくりきます。小さなイズムには、ポストはつきません。適切な概念の規模が問われるのです。
