■笠井誠一の時代:おおぜいの画家を育てた人
1 突然の逝去
笠井誠一先生が93歳で、6月12日に亡くなったとお聞きしました。直接のおつきあいは、ありませんが、しばしば展覧会にいらしていて、少しくらいならお話をしたことがあります。先生がいらっしゃらない展覧会は、本当に淋しいものになるなあと思いました。
笠井先生を師事する画家が大変多くて、この点でも有数の画家だったでしょう。先生に絵を見ていただいて、一言二言コメントをもらうことで、非常な喜びを感じていた画家がたくさんいるはずです。そういう場面に何度か出会って、その影響力を感じてきました。
昨年の夏、体調が悪くて、ご本人も年を越せないかと思うような、厳しい状況もあったようです。これはご本人が語っていたことでした。急に声が小さくなって、聞き取れないくらいのご様子でしたが、年末にかけての回復は明らかでしたから、突然な気がします。
2 堅牢な絵を目指す
笠井先生の作品は、検索をかければいくつも出てきますから、どんな絵を描いてきたのかは、すぐにわかるはずです。先生の絵の場合、人によって好き嫌いがあるのは、たしかでしょう。輪郭を描いているのが好きじゃないという言い方も、よくなされています。
先生自身は、輪郭ではなくて境界線という言い方をしていました。物体の存在する領域の、その外側に境界線があるという考えです。シンプルな形と、穏やかな色合いで、絵の具が厚塗りされることなく、薄く塗り込まれています。モチーフの多くが静物でした。
かつては厚塗りをされたことがあったようです。先生は堅牢ということを重視していました。日本の絵が華奢な感じがしたのでしょうか。フランスに行って、きっちりした構成の、びくともしない存在感を表現することを、ご自分の仕事とされたようです。
3 圧倒的だった画家たちへの影響
笠井誠一という存在は、残された作品だけでなく、画家たちへの影響の大きさでも、無視できない画家として評価されることでしょう。以前から、もはや今後、こういう画家は出てこないのだろう…と、そんな気がしていました。ある種、歴史的な転換でしょう。
戦後のフランス・アカデミズムの最後の輝かしい時期に留学をされて、デッサンの基礎から、もう一度再学習した画家が、それを日本に持ち帰って、多くの画家を指導しました。笠井自身、かつて画家たちに指導を受けたことが影響しているようです。
笠井が若い頃、画家に教えを乞いに行くと、よく見てくれたということでした。才能のある若者がやってくれば、画家は喜んで見たでしょう。同じことを先生自身が、誰よりも積極的に実践していました。90歳を超えて、よくあれだけの展覧会に行けたものです。
絵をパッと見て、その本質を見抜いてしまいます。自分の絵など、数秒見ればもうわかっちゃって、そのとき何も言わなくても、あとであの絵は…と言うのだと、嬉しそうに画家が語っていたのを思い出します。先生に絵を見てもらいたい画家が本当に大勢いました。