■「中庸の仕組み」の創造:堺屋太一『風と炎と』第3部から
1 たいてい「中庸」が正解
先日、揃いで持っていたはずの堺屋太一『風と炎と』の、第3部だけが見つかりました。よくあることではあります。はじめのソ連崩壊後の話を読み、そのあとを読んでいるうち、思い出してきました。最後の方に、「中庸の仕組み」を創造する話があります。
▼「中庸」とは「足して二で割る」式の中間ではないし、双方の要素をこね合わせることでもない。両方の利点が発揮できるような仕組みを作ることだ。したがって、でき上がった「中庸」の仕組みは、まったく新しいものではければならない。 p.269
当然ながら、[「中庸の仕組み」を創造するのは、決して容易なことではない]でしょう(p.269)。それでも[極端な意見や事例が対立する場合は、たいてい、正解は「中庸」にある](p.265)から、こうした中庸を見出す仕組みを作る必要があります。
2 複数の指標のバランス
[従業員共同体化した日本式経営と、利潤追求市場の米国型経営](p.266)を、堺屋は並べていました。いまでは、日本式も米国式も、少し変わってきたはずですが、たぶん日本の方が大きく変わったでしょう。日本の「従業員共同体」というべき経営は極端でした。
これだけではありません。[物財の数や大きさを犠牲にしても好みのデザインや有名ブランドを選ぶ]とか[便利な使い捨てをやめて手作りを楽しむ]、[快適なエアコン空間から出て暑さの中で汗をかく]といった、価値変化が起こっています(p.273)。
極端なものというのは、一つの価値基準に基づいて、片側に一方的に振れさせるものです。価値ある指標が一つではなくて、複数の指標であるとしたら、そのバランスが必要になります。バランスの取れたものが、堺屋がいうところの「中庸」になりそうです。
3 「中庸の仕組み」という魅力的なコンセプト
堺屋は、この本の最後で、[人間の備える「やさしい情知」は、足りないものを節約することが正しいと信じる倫理観と、豊富なものをたくさん使うのが格好良いと感じる美意識を育てた](p.274)と記しています。これは、ある種のバランスを志向するものです。
需要と供給のバランスで価格と数量が決まるように、定量化できるものもありますし、足りないもの、豊富なものも、定量化になじむ発想かもしれません。比較対照するには、客観性が必要ですから、定性的であるよりも定量的に扱いうる概念の方がよさそうです。
バランスをとるには、程度を測って均衡させなくてはなりません。価値観という場合にも、たとえば強弱・濃淡といったある種の相対的な定量化を意識することによって、バランスを考えることができます。仕組みにするには、こうした基礎が必要だと思いました。
どうやら堺屋のこの本を読んで、「中庸の仕組み」という魅力的なコンセプトに出会って、そのことを考えていたようです。詰め切れないまま、上記のような感覚でバランスを考えていました。実際にいくつかの事例で使ってみて、もう少し詰めてみたい概念です。