■成功の方程式のつくり方:堺屋太一が学んだアラン・フォーバスのモデル
1 沖縄の人口を減らさないため
堺屋太一が『東大講演録 文明を解く1』のガイダンスの「少し長めの自己紹介」で、沖縄海洋博について語っています。当時の総理大臣の佐藤栄作に、「沖縄の復帰は、どうなったら成功なのか」と尋ねところ、「沖縄の人口を減らすな」と答えたそうです。
奄美大島が復帰してから15年で人口が4割になっているので、沖縄も1972年の復帰後、15年すると96万人の人口が40万人になるという考えがありました。しかし、[人口を減らさないためには、それだけの人が職業につき、収入を得なければならない](p.28)のです。
堺屋は、沖縄には観光業しかないと考えます。その時、相談したのがアラン・フォーバスという「戦後最大のツーリズム・プロデューサー」と言われた人物でした。その時、[それがあるから沖縄へ行きたいというアトラクティブを作れ]と言われたそうです(p.29)。
2 6項目のうち3項目を揃えること
アラン・フォーバスという人は、堺屋太一がいたから名前が残ったような人に思えます。詳細がわからないのです。しかしこの人のことを、堺屋は非常に高く評価しています。この人のアトラクティブを作れという主張について、中核は以下のようなものです。
▼アトラクティブとは何かと訊いたら、「第一にヒストリー、歴史である。第二にフィクション、物語である。第三には、リズム&テイスト、音楽と料理である。第四には、ガール&ギャンブルだ。第五にはサイトシーイング、景色のいいところだ。そして第六にはショッピング、品ぞろえが良くて安価な商店街だ。このうちの三つを揃えろ」と教えられました。 p.29
これだけなのですが、これだけでも十分な程の明確で説得力のある考えです。6つの分野の内、3つがそろえば、たしかにそこに行きたくなる気がします。①歴史、②物語、③音楽・料理、④ガールとギャンブル、⑤景色、⑥ショッピング…憶えておきましょう。
3 3つの組み合わせによる「勝利の方程式」
こうして1975年の沖縄海洋博を迎えます。[これを契機に、航空便も増えたし、ホテルもできた。それ以上に重要なのは、観光マインドが育ったことです]と堺屋は語り、「十年間で観光客を十倍にする」という不可能に見えた目標が[ほぼ実現]したのです(p.30)。
5項目から7項目のうちの3つの異分野の魅力あるものが揃えられたら、確かに成功する確率が高くなるでしょう。異分野の交流を大切にしていると、それぞれの専門分野の実力者が協力しあって、新しい分野を切り開いて発展させることができるかもしれません。
網羅的でなくて、例示列挙というべき並列項目を上げ、そのうちの3組以上を揃えるべしという発想が、役に立つはずです。何かをなすには、柱が必要となります。ポイントが大切ということです。その立て方をみて、ある種のモデルになると気づきます。
1つのことで勝負を決めようとしがちですが、3つが組み合わせたら、一気に確率が高くなるはずです。沖縄海洋博の後も観光客は増えていき、沖縄の人口も増加しています。成功の方程式というべき上手な要因の組み合わです。モデル化できるのではと思いました。