■言語学者について:千野栄一の案内から

     

1 言語の概論書で評価されるエドワード・サピア

千野栄一の本をもう一度読んでみて、あらためて勉強不足を感じました。言語学の学者といっても、ソシュールとかチョムスキーの名前を聞いたことがある程度のものです。20世紀に入って、インドヨーロッパ語の枠が外れて、次の段階に入ったことを知りました。

『ことばの樹海』に、[サピアやいささか狂気に満ちているとはいえハリントンのようないわゆる「ことばの狩人」が出て、いずれ大きく評価されるに違いない業績を残している](p.248)とあります。ああ、サピアだ…と千野の評価を思い出しました。

『言語学の開かれた扉』に「近代言語学を築いた人々」を10人紹介しています。そのなかにサピアがいました。「言語の詩人エドワード・サピア」です。他の学者と違って、サピアの場合、[言語についての一般的な概論書](p.250)を書いています。

     

2 『言語』一冊にすべてをはき出したサピア

サピアは『言語』という一般的な概説書を、1921年、37歳のときに出版しました。[サピアの業績で生前に出版されたものは『言語』一冊にすぎない]、[サピアは『言語』一冊で完全に自分の持つもの凡てをはき出してしまった]と千野は記しています(p.252)。

▼このサピアの『言語』ぐらい評判のいい本はめずらしいし、また事実一読してみて、実にお見事としか言いようのない名著である。そして、1921年に出版されてから、著者の生前遂に改定されることのなかったこの本が、今日の立場から眺めてみても少しも古くなっていないのは全く驚くべき現象で、かつてサピアと並び称されたブルームフィールドの『言語』が著書の半分ほどで古さを感じさせ、ソシュールの『一般言語学講義』ですら、たとえソシュール本人の罪でないところがあるにせよ、今となっては古く感ぜられるのとは大きく異なっている。 p.251 『言語学の開かれた扉』

ただ、簡単に理解できる本とは思えません。千野は[サピアははたして完全に理解されているであろうか。日本でよく知られるようになった「サピア・ウォーフの仮説」は真の姿を伝えるものではない](p.253)と記しています。時間をかけて取り組むつもりです。

      

3 読むべき人:河野六郎とマテジウス

千野の選んだ10人の学者の中に、他にも読むべき人が、少なくとも2人います。まず河野六郎です。河野の日本語についてのエッセンスは、『日本列島の言語(言語学大辞典セレクション)』の「日本語(特質)」と、『日本語の歴史』第7巻の該当部分で読めます。

マテジウスについては、『言語学の開かれた扉』の紹介と、『ことばの樹海』の「もう一つの文法」での概説が必読です。千野はマテジウスを語るときに、河野にも触れています。河野は「日本語(特質)」の中でマテジウスのFSP理論に言及していました。

河野の日本語論は基本的な文献です。このときマテジウスの理論の理解が必要だろうと感じました。日本語を考えるときに必要な理論ならば、読んでみようと思って、マテジウスの主著『機能言語学』を読みだしたのですが、簡単に理解できる本ではありません。

千野がいなかったら、サピアもマテジウスも、縁のない学者だったはずです。どこまで理解できるか、わからずにいますが、本だけは手元にはおいています。自分が読むべき本が、なんとなく見えてきたのはありがたいことです。千野の案内は信頼できます。