■千野栄一の考える言語学:『言語学フォーエバー』『ことばの樹海』から
1 遺稿となった「私の考える言語学」
千野栄一は、一般には『外国語上達法』で知られた学者でした。言語学についても一般人に向けて、この学問のごく一部ではあっても理解できた気にさせる文章を残しています。2002年の「私の考える言語学」(『言語学フォーエバー』所収)が遺稿となりました。
千野の言う[私の考える言語学とは、自然言語を素材とし、何を研究の対象とするか明白で、そのための研究方法、術語が整理されていることが求められる](p.257)ものです。[真の言語学を学ぼうとする](p.267)ならば、こうした前提が必要になります。
[「言語学入門」を次々読み、理論的と称する論文を読みあさるより、一つの外国語をきちんと学ぶ](p.267)ことです。結局、[一番近い道は、自然言語を素材とし、言語とその部分の関係を追及する言語学を学ぶこと](p.266)になります。
2 莫大なしかも無駄な努力
千野が[私が真の言語学とし、正しく言語学を理解するためにここに勧めてきたもの]とは、[現在の言語を記録にとどめること、すなわち、テープに取り、語彙を記録し、辞書を作り、文法を解明し、テキストを残すことに他ならない](p.269)のです。
こうした成果を、われわれは学ぶべきでしょう。それは[世界の言語学の潮流ではサピア時代の言語学がそれで、この記述言語学の時代があまりにも早く、次のハリス以下の言語学と交代したのは惜しい]と記しています(p.267)。日本語に関しても同様です。
▼日本は世界にも稀に日本語以外の言語の分布がごく限られているので、これまでこのような言語の研究はアイヌ語にほぼ限られてきた。金田一京助、知里真志保、服部四郎から今日の第一線の研究者のこの言語の研究は依然として価値を失わないものがあり、これは日本語系統論や、生成文法に捧げられた莫大なしかも無駄な努力と、その成果を比べれば明らかであろう。 p.266 『言語学フォーエバー』
3 記述言語学の発展を阻害したもの
千野は『ことばの樹海』の最終章「21世紀の言語学」で、[インドヨーロッパ語比較言語学というのは稀に見る好条件に恵まれた言語学の一分野で、それだからこそ大きな輝かしい業績を上げたのである]と記しています(p.245)。しかし負の遺産もありました。
20世紀の[二、三十年代から、言語それ自体を知るには過去のことを知るより、現在のあるがままの言語を知る方がより有効であるという、今となっては自明の理に気がついて、構造主義の言語研究の時代へと突入する](p.246)のです。負の遺産からの解放でした。
[構造主義の現語学は言語には果たすべき役割、すなわち機能があり、そのために言語は構造をなすという立場に立つ](p.246)ものです。しかし[言語学全体がその方向に向かわなかった]のでした(p.247)。莫大な無駄な努力をしたのです。千野は記しています。
▼ハリスからチョムスキーへと、過去の言語の研究、現在の言語の研究からの必然の方向として、未来の言語の研究へと向かったのは、ゆっくり記述主義の言語学を熟成する時間を与えなかったという点で惜しむべきである。 p.248