■陳舜臣『日本人と中国人』:内容の濃い必読書
1 「商才の民」との誤解
陳舜臣は『日本人と中国人』の第1章で、もと貿易商社の重役が、「中国人は商売の天才だ」と言うのに対して、この人が見えてなかった点を指摘します。重役は、上海、天津、広州などに駐在していたため[中国をかなり広く見分]したつもりだったのでしょう。
しかし重役の[接触した中国人というのは、ほとんど商売関係の人じゃありませんか? 場所も開港場に限られています]と指摘しています。[開港場の中国商人は不利な条件]の下で[体力、思考力を総動員して、やっと一人前になれた]人たちです(pp..12-13)。
[もともと志を立て、商人になるべく開港場に出てくるのは、きわめて限られた人たちです]。実際に商人になれるのは、一万人のうち甘く見ても[五十人](p.13)であり、[中国人イコール商才の民。-この図式がいかに大きな誤解であるか]と語ります(p.14)。
2 以心伝心とは「過程」を抜くこと
陳は日本について、[日本はもともと、気心の知れた連中ばかりが集まって、号令一下、自由自在に動けた、幸福な生い立ちをもつ国](p.86)だと言い、そのため[説得などは必要ない](p.85)と言うのです。この点、中国人の場合、説得が不可欠になります。
[涙と汗、そして口角から吹き出された多量の唾とで獲得さるべき『結論』]が、[中国の古典が流入した]ため、日本は[獲得への努力がほとんどゼロ]で手に入ったのです。陳は、[これでは、まるで打出の小槌ではないか]と記しています(p.89)。
日本にとって、対話の相手は中国人ではなく、[相手は書物であり、過程抜きの結論であり、すなわち理念であった](pp..90-91)のです。すでに道しるべがあるので、説得は不要でした。[以心伝心とは、つまり過程を抜くこと](p.95)というのが陳の考えです。
3 日本語は結果重視の構造
この本には、日本語についての大切な指摘があります。[日本語はおしまいまで、『とまれない』]、中国語は「主語-述語-目的語」の語順で[ヨーロッパ語と同じである。主語と述語を口にして、あとはしばらく休止をとることができる](p.96)というのです。
中国語は「我愛」でストップできます。日本語は「私はあなたを」と言いますから、[誰を愛するのか、はじめからきめてかからねば、ものが言えない構造]で[結果がはじめから要求される]のです。[日本人にとって、『結果』は大切]といえます(p.97)。
「我愛你」と言う時、[いろんな翻訳が可能]で、[どれに相当するかを、考えねばならない](p.98)。しかし[日本語であれば、ぜんぶはっきりとおもてに出てしまうので、それ以上議論の余地はない。日本語はかくされたところが少ない](p.100)のです。
日本語は[ことばのうえで、隠されたものがないので、かえってものをかくす工夫が行われているのではないか]。「へえ、さようでございます」ではなくて、「へえ、さようで。」になります(p.104)。大切な、必読書と言うべき内容の濃い本です。