■正しいと思ったとき問題になること:個人と組織の関係

    

1 自分が正しいと思っている若者

若者が、自分の入った会社で苦戦しています。自分で気に入って入った会社です。ところが自分の得意技で、意外なことが起きました。どう考えても、自分が作った経営に関する計算式の方が正しいのに、上司がそれを改変しろと言ってきたということです。

まったく取り合わない様子なので、ひとまずそれに従っているとのことでした。さあどうしたらよいかということです。ぼそぼそ言いながら、結局、このことがよほど気になっていたらしく、先日会ったときに、ある時点で転職するかもしれないと言ってました。

計算式に関して言うと、私が以前教えたことがあったので、それがダメになってしまったというので、お詫びという感じでのお話でした。これでは使えないと、本人が言う通りでしょうが、そう簡単なものではありません。実際、先輩もわからない様子だとのこと。

      

2 結果を検証していくのが王道

幸い先輩が優秀な人だったらしく、若者に対して、ひとまずこのままやっていくしかないよといったそうです。それが正しいと思います。徐々に、実体との乖離がはっきりしますから、それまで待っていればよいでしょう。こういうとき、時間が解決します。

会社の内部のことですから、詳細はわかりませんが、自分の方が正しいと思っていても、絶対とは言い切れません。結果を見ながら、それを検証していくのが王道です。自分のものが間違っていると否定されても、ひとまず気にする必要はありません。

若者にその時伝えたことは、自分が正しいと思った計算式で、個人的に状況を見ていく方がいいよ…ということでした。上司から言われて修正のもので経過を見ていくだけでなくて、自分が正しいと思う計算式で指標を見ていくほうが会社のためにもなります。

     

3 修正までの間に精神的に消耗しすぎないこと

連休が終わって、上司に変化が見えてきたようです。データを教えてもらえなくなったということでした。状況が変化して、データを入れると、おかしなことになってきたのかもしれません。なぜなのかは説明がなく、データが未入力になっているとのこと。

私が知るのは、ここまでですから、もしかすると、まったく別な理由でデータが遅れているのかもしれません。ここでいうべきことは、一般的な傾向についての話です。若者は、一生懸命やると、どうしても自分の作ったものを特別に大切にする傾向があります。

今回、おそらく若者側が正しかったと言えそうな状況になってきました。しかし実はたいしたことではないのです。検証が適切に行われているかどうかの方が問題になります。間違いはゼロにはできませんから、結果を見て修正できれば、問題ありません。

きちんと検証している組織ならば、修正までの時間は、それほどかからないものです。数か月といったところでしょう。その間に、精神的に消耗しすぎるほうが問題です。経緯を見るだけですから負担はありません。別の目標にエネルギーを注ぐようにと話しました。