■漢字の国とカナの国:邱永漢『中国人と日本人』から
1 中国は漢字の国、日本はカナの国
邱永漢は『中国人と日本人』で、中国は漢字の国、日本はカナの国だと書いています。[漢字はそれ自身一つの完成した文化を意味する。一字一字に意味があり、その成り立ちにもリクツがある][漢字はそれ自身、完成度の高い文字である](p.70)のです。
漢字が日本に輸入されて[漢字は思想を表現する具として日本語化](p.70)したものの、[漢字が入ってくる以前から日本にはすでにヤマト言葉があり、それを記録する字がなかった]ので[カナをつくり出した]のです(p.71)。これが大きな意味を持ちました。
▼カナはヤマト言葉を表現するための字として利用され、かつ漢字を読む時の音標文字として使われるようになった。本来の漢字は呉音も漢音もすべて今日の日本語の発音とは異なるものであるが、日本人はそれらの発音をすべて五十一字の中におさめてしまった。どうしてそういうことができたかというと、ヤマト言葉のあいうえおは、日本人の音標文字であって、それ自体に意味がなかったからである。 p.71
2 外来文化を取り入れる方法
邱永漢は、日本語がカナの国だと言いました。漢字だけでなくて、[日本語は英語でも、ドイツ語でも、フランス語でもローマ字で表現される言葉を何の苦もなく取り入れることができた][新しい外来語はカタカナで表現されるようになった]だけです(p.71)。
こういうことを漢字で簡単に行うことはできません。外国人の名前の場合、漢字をあてて音声で表現しようとしました。できなくはありませんが、どうもしっくりきません。だから[一般名詞を外国語で表現することはかたくなに拒否している]のです(p.76)。
この場合、[内容をいちいち漢字に翻訳しないと、現象そのものすら理解でき]ません(p.78)。こうした[漢字とカナの区別のわかる人なら、外来文化を受け入れるに際して、日本人の方が器用で、中国人の方が不器用である理由がわかる]でしょう(p.77)。
3 日本語のグローバル化と中国語
使っている言葉は、簡単には変わりません。言葉の特徴に根ざした物事は、大きな影響を与えます。漢字には造語力がありますから、日本人は新しい概念を感じに翻訳して、新しい言葉を作りました。明治期に多くが作られて、それが逆に漢字圏に逆輸入されます。
欧米から導入した新しい概念の中核的なものの多くは漢字になりました。しかし、たとえばイノベーションのように、カタカナで表現する方がしっくりくる言葉もあります。かつては変革という言葉に翻訳されていましたが、ピタッといってない感じがするでしょう。
少なくとも今世紀の日本では、あらゆる学問が日本語で支障なく学べるようになっています。明治時代には用語がありませんでした。カナがあったとしても、苦労したのです。カナがない場合、簡単には行かないでしょう。近代化・現代化そのものに影響があります。
邱永漢『中国人と日本人』の重要なところは、この漢字とカナの部分です。この本の最後で[「大中華経済圏」はもうそこまで来ている]と言い、後記で相談にのりますよと連絡先まで記していました。利害が絡んだのでしょうか。そういうところは冴えません。