■日本語が大きく変わった時期:日本語への意識変化と漢字

      

1 2002年漢字制限の実質的撤廃

日本語は明治以降、大きな変化をしてきました。明治維新後に、漢字の読みを変えたり、第二次大戦後の国語改革でも、かなづかいを変え、漢字の使用制限をしたりの変更がありました。国の主導による国語政策の変更です。しかしそれとは別の動きも出てきました。

清水義範は『はじめてわかる国語』の「悩ましきかな漢字」の章で、常用漢字表にない39の漢字を、2002年4月から読み仮名なしで使うと日本新聞協会が決めたことに言及しています。「闇(やみ)」「鍋(なべ)」「磯(いそ)」「玩(ガン)」「腎(ジン)」などです。

何だかバカバカしい制限だったと改めて思います。制限の目安になっていた常用漢字表にない漢字でも多くの人が使っているのだから、制限をやめますということです。1981年にできた常用漢字表の目安制限が、20年後、実質的な意味を失ったということでしょう。

      

2 日本語の軽視が転換:高島俊男の指摘

もともと常用漢字表が当用漢字表を修正したものでした。当用漢字表の制限は、かなり強制力のあるものでしたが、常用漢字表の場合、目安といったものです。その後、ワープロが登場し、パソコン入力が広がったため、書けなくても読める漢字が増えています。

さらに日本人の感覚にも変化が起きていました。『はじめてわかる国語』で、清水義範は「漢字と日本人のなやましい関係」という対談を高島俊男と行っています。高島は、『漢字と日本人』を書いた人です。対談で、重要なことを指摘しています。

▼日本語は日本人自身に尊敬されたことがないんですね。もし尊敬していたら時代時代の一流の知識人は日本語で文章を書いたはずなんだけど、常に日本のそれらの人々は漢字ばかりで文章を書こうとした。平安時代ならひらがなの和語を書くのは女のすることだと。そして明治以降は英語やフランス語の方が高級な言葉で、知識人はそちらに顔を向けてきた。それがここ二十年、随分、日本語の格が上がってきた。 p.155:2002年単行本

       

3 1985年からの意識変化

高島が語った2002年の20年前のことですから常用漢字表ができた頃の話です。そもそも当用漢字表のような強力な制限が維持できなくなって、常用漢字表になったのでしょう。文字通り目安になったのです。その後、漢字をめぐる環境が大きく変わっていきます。

高島は同じ対談で、[戦前戦中、日本語をもっと単純化しようと言った人たちの強い根拠の一つはタイプライターなんですね](p.156)と語っています。最初のワープロ専用機ができたのが1978年です。1985年には10万円を切った製品が登場して、一気に普及します。

その10年後にはWindows95が登場してきました。1998年頃から大学の卒論が、手書きからワープロに変わっていきます。Office2000、Office2003の登場以降、ビジネスでもパソコン処理が主流になります。手書きよりもキーボード入力のほうが普通になりました。

日本語の格が上がってきたという感覚は、日本経済の好調さが背景にあったでしょう。バブルと言われるのが1985年から1991年と言われています。この期間に大きな意識変化が起きました。そこに技術革命が起きたのです。日本語が大きく変わった時期といえます。