■日本語文の4系統「どうした・どんなだ・あるいる・なのだ」:動詞文・形容詞文・名詞文のミスリード

      

1 同型なのに動詞文と形容詞文

日本語ついて語るときに、まだ動詞文とか形容詞文とかいう言い方があるようです。日本人が日本語を使うときに、動詞か形容詞かを意識して使っているはずはありません。感覚的におかしいからです。動詞か名詞かよりも、もっと意識をしていることがあります。

たとえば、「公園にハトがいる」という文があったとします。「いる」が文末に来ていますから、いわゆる動詞文なのでしょう。一方、「公園にハトがいない」となると、文末が「いない」ですから形容詞です。したがって、この文は形容詞文になるのでしょう。

文を動詞、形容詞、名詞の品詞で分けるならば、「公園にベンチがあった」が動詞文で、「公園にベンチがなかった」が形容詞文になります。分けるのは自由ですが、この分け方がしっくりくる人という人は少数派です。二つの文は、いわば対の関係になります。

      

2 日本人に自然な区分法

日本語の文末を、われわれはどういう風に分けているのでしょうか。典型的な日本語のサンプル文を表現するときに、「いつ・どこで、誰が何をどうした」という言い方をします。この文の場合、「どうした」ですから、動詞文なのでしょう。

先ほどの「どこに何がある」「どこに誰がいる」も動詞文です。しかし「どうした」の文と、「ある・いる」の文を、別の種類の文型と見ないと不自然な感じがします。一方、「ある・いる」と「ない・いない」を別種の文型とするのは、ヘンな感じです。

「どうした」と「あるいる」は別系統でしょう。「どんなだ」も別系統とすべきです。さらに「誰はどういう人なのだ」「何はどんなものなのだ」「どこはどんなところなのだ」「いつはどんな時なのだ」という「…なのだ」も別系統と考えるべきでしょう。

      

3 「どうした」「どんなだ」「あるいる」「なのだ」の4系統

「どうした」「どんなだ」「あるいる」「なのだ」の4系統が日本語を分けているという方が、品詞に基づく動詞文、形容詞文、名詞文より、数段すっきりした感じになります。そのほうが自然です。実際のところ、この区分は論理的なものになっています。

「どうした」は行為や現象を表す「動的表現」の文と言えるでしょう。「どんなだ」は状態や評価を表す「静的表現」の文となります。「あるいる」は存在や不存在を表す「有無表現」の文です。「なのだ」は名前や種類を表す「該当表現」をする文になります。

日本語は、文末で「動的表現」「静的表現」の文にしたり、「有無表現」や「該当表現」の文にしているのです。この4系統で諸々を表すことができます。私たちは品詞を意識するよりも、「どうした」「どんなだ」「あるいる」「なのだ」を意識しているのです。

名詞文、形容詞文、動詞文という品詞でセンテンスを分類する方法は、そろそろやめなくてはなりません。日本語に即して考える必要があります。自然に区分されて、諸々を表現するのに都合のよい形式が日本語にはあるのです。意識すれば気がつくことでしょう。