■アイデアをため込んでも役立たない:デジタル技術の利用について

      

1 カードから検索へ

かつて梅棹忠夫が『知的生産の技術』を書いて、カードの有効性を主張したことがあります。分類するな配列せよという考えが示されていました。たくさんのカードを購入して、成果なく終わった人が多かったはずです。その後、検索ができるようになりました。

検索が使える以上、もはやカード方式ではなくて、情報を一カ所にまとめて集めておけばよいという主張がなされるようになります。必要事項を検索すればよいのです。クラウドのサービスが始まり、DropboxやEvernoteが登場して利用者も拡大しました。

しかし、それによって知的生産が向上したとは思えません。この種のデジタルサービスはあまり役に立たないのではないかという気がします。生成AIが登場した後も、否定的な感じで見ていた人が多かったでしょう。実際に効果的に使っているのか疑問です。

     

2 思考の整理が最重要

知的生産に関して、どうすればよいかという仕組みも大切ですが、頭の中で思考を整理する過程が大きな領域を占めていて、それがブラックボックスのようになっています。ここがより重要なポイントになるはずです。しかし、この領域は簡単に解明できません。

頭の中でなされる作用が大切だとして、その前提として何ができるかが問題です。あるフレーズを思い出したときに、それがどの本にあったかを思い出せないことがあります。本を持っていても、それに気がつかないというケースはよくあることです。

そのフレーズが記録されていて、そこに本の題名と著者名があれば、それを検索して該当の本がわかるので便利です。案外、備忘録のために利用する方が役に立ちます。頭の中で処理した後、文献を見つける際に、何かデジタル技術が使えるはずです。

     

3 アイデアよりもデータと情報が大切

何か思いついたときに、メモしておいて、そのアイデアを活かそうとする場合に、意外に過去の記録は役に立ちません。その場で展開されていくようでなかったら、ほぼアウトです。思い出さないようなアイデアは、分析したり総合したりする際に、役立ちません。

それよりも、必要な断片を引き出すためにデジタル技術が使えるのではないかと思います。断片ですから、小さな塊です。エッセンスのようなもの、キーになるようなフレーズで。それが何かを生み出すのではないかという気がしています。

こうした観点から、デジタル技術の利用を考え始めました。アイデアではなくて、備忘用のデータや情報を集めて記録しておくものです。しばしばアイデアは古くなりますが、本の一節と題名・著者名などは古くなりません。この種の断片の方が役立ちます。

いくつかの事項の関連について、事実の裏づけや、その可能性の根拠を記録すること。これらはアイデアではなくて、事実やその周辺事項になります。前提を変えたほうがよさそうです。知的生産にとって、アイデアが大切というのは幻想だったのかもしれません。