■沈黙させるドリル問題:「この日に開催するのは、タイミングが悪いです」の主語

    

1 例文「この日に開催するのは、タイミングが悪いです」

もしも、「この日に開催するのは、タイミングが悪いです」という文があったとしましょう。主語になる言葉は、何か…という問題が出されたら、答えはどうなるのか、気になります。「この日に開催するのは」であるか、「タイミングが」になりそうです。

聞いてみた限り、全員が、わからないよという答えでした。こんなのヘンだというのです。日本語には主語がないという人もいました。省略だという人もいましたが、何が省略されたのかを聞いたところ、「私は」だというので、驚いたことがあります。

「私は、この日に開催するのは、タイミングが悪いです」となるのでしょうか。確認すると、本人が間違えたと言いました。日本語には主語を記載しない文があります。誰を記述しない場合、しばしば「私」が主語になるので、反射的に答えたようです。

     

2 違和感のある「は」がつくと主題という説

「象は鼻が長い」とか「コンニャクは太らない」という文が問題になることがあります。日本語には、主語がなくて、「は」がつくと主題になるのだそうです。そういう考えの人が学者にはいます。一般の人は、そんな話は知りません。わからないというだけです。

ただ、言葉にある種のこだわりを持つ、常識的な感覚を持つ人たちに聞いてみると、「は」が主題を表すという見解は、逃げだよねと言うことがあります。少なくとも、違和感を持つ人が多数派です。だからこそ、文法には深入りしないということになります。

では、「漱石を読む」はどうなるのかと聞くと、何が問題なのかと確認して、ああ、「漱石」は読めないね…と言うことになるでしょう。「漱石の作品を読む」のです。先の例文でも、同じではないでしょうかと言うと、気がつく人がでてきます。どうでしょうか?

      

3 種類(カテゴリー)が抜け落ちる場合

「この日に開催するのは、タイミングが悪いです」、「象は鼻が長い」、「コンニャクは太らない」などは、「タイミングが悪いことです」、「長い動物です」、「太らない食べものです」という「こと・動物・食べもの」が抜けているだけです。

抜けていても、わかりきった話なので意味は伝わりますし、そのことに気づかないだけでしょう。言われれば、ああそうだとなります。「この日に開催するのは、タイミングが悪いことです」だとしたら、主語は「この日に開催するのは」と答えるでしょう。

ここでいう主語とは、文末の主体を主語になります。文末の主体は、どんなセンテンスにもあるのが原則です。文末の種類(カテゴリー)が抜け落ちることがありますから、それを勘案すると、その文末の主体が見えてきます。この考えなら、納得する人が多いのです。

ただ、「象は鼻が長い」だけは、もう一つの場合があります。「象の鼻は長い」という文が強調文になる場合です。「象」を強調する場合、「象」に「は」がつき、「鼻は」が「鼻が」になります。こちらは、なかなか伝わりません。手ごわい例文だと思います。