■成功者の「空白時代」の取材:立花隆『青春漂流』
1 11人の若者の「これから」
立花隆の『青春漂流』は、あまり知られていません。11人の若者を取り上げます。登場する[男たちは、いずれも、自分の人生を大胆に選択して生きようとしている男たちである][成功したか、失敗したかを語るにはまだ早すぎる例ばかり]でした(p.11)。
1984年に雑誌連載が終わり、初版が1985年の出版です。ソムリエの田崎真也が25歳で登場し、コックの斎須正雄が34歳で登場しています。手作りナイフ職人の吉川四郎、フレーム・ビルダーの長澤義明、レコーディング・ミキサーの吉野金次も対象になりました。
一人20ページほどの文章です。それでも[最低でも四、五時間。長い時は泊まりがけで語り合った](p.272)ものですから、読ませます。「それから」を語るのではなくて、「これから」を語った文章です。いまの我々は、関心を持った人の、その後もたどれます。
2 みんな落ちこぼれだった11人
立花は11人に会ったあと、[取材全体を通じて得た感想のようなもの]として、[不思議にみんな落ちこぼれだった]と記しています。[時期にちがいこそあれ、皆どこかで、人並みの人生コースから外れてしまった男たちだった](p.272)のです。
▼落ちこぼれた理由は人によってさまざまである。しかし、一言で乱暴に総括してしまえば、面白くなかったからということになろう。通常のコースをフォローする能力に欠けていたから落ちこぼれたのではなく、そうしたくなかったから落ちこぼれたのである。 p.272
その後、[自分の情熱をかけるべき対象]が見つかると、[とてつもない努力家に変身する][精進を重ねて、一つの道をまっしぐらに進む]ということになります(p.272)。その先に何かを成し遂げるまでの、[「謎の空白時代」を取材]したものでした(p.275)。
3 田崎真也の転機
田崎真也は1983年に、「全国ソムリエ最高技術賞コンクール」で優勝します。一流のホテルの人間が優勝するのが常識でしたが、[まったくのダークホースが優勝してしまった]のです。[はじめてソムリエを志したのは、六年前、十九歳の時]でした(p.178)。
本人が「中学の頃から遊び歩き出しましてね、遊びぐせがついて学校に行かなくなってしまったんです」と語っています。しかし高等専門学校に[ちょっと勉強したら合格してしまった]ということです(p.179)。そこでも遊びだし、2年で退学してしまいます。
ウェイターの仕事をし、その後、[東京でも指折りの高級レストラン]の銀座の「ローマイヤ」で働き始めました。「ここで初めて、サービスのプロの仕事を見たんです」(p.183)と語ります。[自分もこの道で一流のプロになりたいと思った]のでした(p.185)。
ワインの勉強を始めると、[ワインの勉強にフランスに行かなければダメだ]と考えたのです(p.186)。19歳の秋に、フランス語を一言も知らずにパリのオルリー空港に着きます。その後の[田崎を知る人たちは田崎の優勝には驚かなかった]のでした(p.196)。