■英文学者 福原麟太郎:圧倒的な研究者の随想

      

1 福原麟太郎『愚者の知恵』

福原麟太郎をご存知でしょうか。英文学の研究者です。知る人ぞ知るというよりも、かなり名の知れた学者でした。著作集12巻に加えて、随想全集8巻が出されています。この人は文学のわかる人だということが、さらりと書いた文章にもにじみ出ているのです。

先日、別の本を購入するために出かけた古本屋さんで、『愚者の知恵』を見つけました。読み始めると、止まらなくなります。たとえば「人間的なものへの興味」という十数ページの文章では、シェークスピアの『お気に召すまま』を紹介したものです。

6頁ほどで、この作品の[筋書きを終わりまで書いてみよう](1957年版 p.61)と提示します。作中人物の[シェークスピアのロザリンド的解釈をしてみた。そしてそれは、私の述べている、明るい人生への希望の話につながるもの](p.63)でした。

     

2 シェークスピアの解釈

福原は[シェークスピアの思想については、脚本以外、何も文献的なものは残っていない。シェークスピアを解釈する面白さはそこにある]と言います。[私は『お気に召すまま』が好きである](p.63)という福原の解釈は、ポイントをついていると思いました。

▼シェークスピアの持っていた人生観と言うものを想像すると、ロザリンドのように実践的な明るい人生を楽しむことにあったのではないか。そして、このヂェークウィズという男は、それはシェークスピア自身――限定して言えば、劇作家としてのシェークスピア自身ではなかったであろうか。彼の心の中には、この脚本を書いたころから、何か悲観的な人生への興味が起こったようである。人生の悲劇的な価値を、舞台の上に試してみようという心がまえがあったことが感じられる。 p.62

1600年『お気に召すまま』の後、1600年から1601年に悲劇期の第一作『ハムレット』が書かれ、『オセロ』『リヤ王』『マクベス』と四代悲劇の8年間となります。その後、[寛容と秩序が、人生を幸福にする]テーマの最後の作品『あらし』が出されました(p.63)。

     

3 ヴィジョンというもの

「限りなき浪漫」では、[ヨーロッパ人が、ヴィジョンと言っているものがある]と紹介しています。辞書には「夢想、空想、幻、幻影、現像、夢幻」などとあったそうですが、[そのような訳語では言い現せないものだ。「目に見えるもの」]なのです(p.67)。

[客観的に存在するのでなく、この世にないもので、目に見えるものが、ヴィジョン]であり[心の目に見えたもの]のことをいいます。数学者や物理学者が圧倒的な業績を上げるのは、「美しいビジョンが浮かぶから」です(p.67)。そしてこんな感想をもらします。

▼われわれは、ヴィジョンを持っても、規模が小さく、イマヂネーションがあっても、ほんの推察程度のことしか出来ない。新しい世界を想像してゆくおいうような力に不足しているらしい。生活力そのものの問題になるのであろうか。 p.74

福原は[夏目漱石に関して、私は「坊ちゃん」と「三四郎」とを繰り返して読む][「三四郎」が一番面白い]と言う人です(p.136)。「漱石についての私見」と「個人主義解説」で漱石を一筆書きしています。圧倒的な学者であったことを再確認しました。