■村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳文:マーク・ピーターセン『ニホン語、話せますか?』から
1 村上春樹訳『キャッチャー・イン・ザ・ライ』
やはり英語の原文を理解していないと、どうにもならないのだと、あらためて思ったことがあります。マーク・ピーターセン『ニホン語、話せますか?』にある『ライ麦畑でつかまえて』についてのことです。村上春樹の訳が妙なのは、読めばわかることでした。
しかし、なぜおかしい感じがしたのか、原文をたまたま手に入れて、お手上げになった者には、説明などできません。ピーターセンは[The Catcher in the Rye は、ごく自然な「日常英語」で書かれている小説]と書いています(p.40)。それが読めませんでした。
私だけでなくて、村上春樹も大きく間違っていたようです。[新訳を開いてみると冒頭のセンテンスから、「オーノー!」の世界になってしまった]とのこと(p.41)。問題は、「君はまず最初に、…」の「君」でした。野崎孝訳でも「君」になっていたものです。
2 “you”と「君」
なぜ、この「君」が問題だったのでしょうか。ピーターセンは、[「読者」を一般的に指す、地の文の“you”という言葉]を「君」と訳すのはおかしいと指摘しています(p.40)。妙な感じは、これのせいだったのかと、やっと気がつきました。
英文の場合、こうした指摘がないと、わかりません。何となくだけで終わりです。[“you”は、誰でもないのだ。まあ、強いて言えば、漠然と「読者」を一般的に指している言葉なのだが、英語の構成上必要となる代名詞にすぎない]のです(p.42)。
したがって、[和訳では、日本語の構成上必要なわけではないので、普通は省略されるものである]ということになります(p.42)。これで、すっきりしました。あとは、逆にこの点を頭に入れて、村上の訳文を読んでみると、妙な違和感を感じることができます。
3 新訳でなくて新作風
村上の方は、[この小説における you という架空の『語りかけられ手』は、作品にとって意外に大きな意味を持っているんじゃないかなと、テキストを読んでみてあらためて感じたんです]と語っていたと、ピーターセンは引用しています(pp..41-42)。
小説の最後の言葉は、「Don’t ever tell anybody anything. If you do, you start missing everybody.」とのこと。ここでの「you」は単数形でなくて、複数形であって、一般論が述べられているところです。「君」と訳しては、おかしなことになります。
ピーターセンは、「人にはなんにも打ち明けない方が絶対いいんだよ。打ち明けると、<その話に出てきた連中を>みんな懐かしく思い出したりして淋しくなるから」と訳しています。何だかイメージが変わってしまいました。全然違う小説という感じがします。
村上訳は、「だから君も他人にやたら打ち明け話なんかしないほうがいいぜ。そんなことをしたらたぶん君だって、誰彼かまわず懐かしく思い出したりするだろうからさ」とのことです。ピーターセンは[ブキミな感じがする“新作”](p.43)と書いています。