■忘れ去られた日本語文法:リーダーたちの再教育を

     

1 主語・述語がわからない

日本語文法の通説によると、日本語の主語というものはないということになる様子です。少なくとも主語の定義が明確になっていません。以前、成績の良い学生が、日本語文法について、主語と述語がわからないと言っていました。定義がないということです。

先日のセミナーにいらした方は、リーダーだったりリーダー候補の方でした。日本語文法について、学校では勉強してこなかったようです。主語・述語という言い方をやめて、文末とその主体という言い方で考えていただけば、わかると思ったのが間違いでした。

実際の文章から主語(主体)と述語(文末)を抜き出してもらったのですが、よくわからない様子です。主語がどれ、述語がどれだという問題は、20年くらい前には小学校の高学年の試験問題になっていました。もはやこうした問題をすることがなくなったのです。

      

2 デッサン力が見抜けなくなった教授たち

美術大学の入学試験にデッサンがなくなってから絵がおかしくなったという話を、以前、聞いたことがあります。野見山暁治さんが芸大のデッサンをやめさせたと、ご本人が語っていました。いまでも、デッサンはあまり重視されていないようです。

野見山さんは、あれは失敗だったと後に語っていたと聞いたことがあります。入試でデッサンをやめたら、デッサンがいい加減になった。2年か3年で面白い作品もなくなって、深刻なのは教授の方が、学生のデッサン力を見抜けなくなったということでした。

やらなくなれば、出来なくなります。日本語文法も、使われなくなって久しい状況です。使われなくなると、どう見ても優秀そうな方々も、主語・述語がわからなくなります。学者たちが主語論争をしているうちに、学校から日本語文法の教育が消えていったのです。

      

3 リーダーたちの再教育が必要

もう一度、ゼロから日本語のルールを確認する必要があります。それをするだけの価値があることを実感できるはずです。しかし、いまの日本語文法では、日本人は使いません。基本的な本を見ても、体系的な理解ができませんし、使う意味がわからないはずです。

外国人が日本語を習うときに使うための文法と、日本人が使う文法は当然違います。ときどき外国人の間違いをヒントにして、日本語文法を体系化しようとしている気配が見えるのです。まずは日本人の使える文法がなくては困ります。講義でそれを実感しました。

すでに日本語文法をやらない世代が圧倒的だったのです。入試問題から、主語・述語などの文法問題が消えてしまいました。あったとしても、まれです。そんなことは、知っていたはずでした。そしてリーダー達のほとんどが、文法問題をやったことがないのです。

デッサンを問わなくなって、学生のデッサン力が落ちただけでなく、教師側のデッサンを見る眼が落ちてしまったという話を思い出します。人間の読み書き能力は、すべての基礎になるものです。もう一度、リーダーたちの再教育が必要だろうと思いました。