■9条を政治的マニフェストと解釈する理由

      

1 主張と矛盾する方向に事態が進展

昨日、憲法9条の「政治的マニフェスト説」について触れました。説明不足だったようです。もう少し解説が必要でした。芦部信喜は『憲法』で、自衛隊違憲論になる見解を示しています。その前の『憲法学基本ノート1』では、非武装中立を支持していました。

「第七版はしがき」を書いた高橋和之も[芦部先生の世代の憲法学は、圧倒的多数が自衛隊違憲論を唱えていた]と書いています。しかし、国民の圧倒的多数が自衛隊の存在を支持しているという現実があり、将来にわたっても、この傾向が変わりそうにありません。

自衛隊違憲論が広く支持される可能性は、ほとんど期待できなくなったのです。芦部も、この傾向が変わらないことは、わかっていたでしょう。「第六版はしがき」で[芦部先生の主張と矛盾する方向に事態が進展している分野もある]と高橋は書いていました。

      

2 変化を整序して解釈体系を再構築

高橋は「第六版はしがき」で、主張と矛盾する事態に対して、[今芦部先生が観察されたならば、どのように反応されたであろうか。おそらく全体状況の変化を整序し直す新たな補助線を導入して解釈体系の再構築をみごとに成し遂げられたに違いない]と記します。

国際情勢と日本国内の民意からして、自衛隊違憲論を言うだけではダメだという発想が芦部にあっただろうということです。「第七版はしがき」で高橋は、[九条問題は、自衛隊創設以来、日本における立憲主義の最大のアキレス腱となってきた]と書いていました。

芦部には、九条の条文解釈を変更する気はなかったでしょう。そうなると、自衛隊違憲論になります。教科書的には、それでよしとしたようです。しかし現実と矛盾のある九条の解釈を、このままにしてよいとも思ってなかったということになります。

       

3 素直に読めば「政治的マニフェスト」

高橋は「第七版はしがき」に、芦部が講演で[従来九条を法的拘束力のある規範と考えてきたが、むしろ「政治的マニフェスト」と考える説を検討すべきかもしれないと述べられたという(法律時報90巻7号72頁参照)]事実を記していました。

9条解釈を変更せず、[全体状況の変化を整序し直す新たな補助線を導入して解釈体系の再構築]をするには、9条が法的拘束力ある規範だという前提をやめ、現状ではなく「あるべき姿」を前提とした「政治的マニフェスト」を示す条文だとする必要があります。

なぜ「政治的マニフェスト」を示す必要があるのか。高橋が書くように[平和主義の理念を将来にわたって内外に発信していくため]です。[九条を改正するより条文として残した方がよい]という考えに基づいています。理念を発信しておきたいということです。

9条が理念を発信するための「政治的マニフェスト」だとの主張ならば、自衛隊違憲論を否定的に見る人でも、支持する人がいるでしょう。最高裁判事だった英米法学者の伊藤正己は『憲法』等で、素直に読めば「政治的マニフェスト」になる旨、主張していました。