■日本人の行動様式の変化と日本語:エドワード・T・ホール『文化を超えて』から

     

1 ハイコンテクスト文化

日本語のことを考えると、日本の文化がお互いにわかりあう枠の中で形成されてきたことを感じます。わかるという前提で、細かい注釈をつけずに語る形式です。わかっていることに関しては、言わないこと、記述しないことが原則になっています。

お互いに分かっていることが、会話や文脈の中で展開していきますから、その中ではさらに言わないこと、記述しないことが増えて来るでしょう。エドワード・T・ホールの『文化を超えて』でいうハイコンテクスト文化ということになるかもしれません。

ホールは言います。[日本人は、他人の間違いを注意したり、物事をいちいち説明したりはしない。そんなことは当然知っているはずだと思い、知らないと当惑する](p.129)。知っているはずだという前提をとっているのです。これが日本語に反映しています。

      

2 1970年代の日本

ホールの『文化を超えて』は、1976年に書かれたものです。日本への言及も何度となくあります。その当時の日本は先進国と言われながらも、とても先進国的でなかったようです。そう感じる話がつぎつぎ示されています。現在とはずいぶん違った様子です。

「日本での体験から」という見出しのある文章で、[数年前に私は、日本で全く不可解な一連の出来事を経験した]話が出てきます。東京の下町のホテルに滞在していた時に、宿泊した部屋を勝手に移動させられたというのです。それが何度か繰り返されたのでした。

さらに京都に行くと、今度は予告なしに別の旅館に移されたというのです。いまではありえないことでしょう。こうしたケースをもとに、ホールは日本の文化を語っています。この本でのホールの分析は、いまの日本とは違ったものにならざるを得ません。

      

3 日本人の行動様式の変化

『文化を超えて』を読むと、日本人にとって、当たり前だと思うことが、かつての日本ではなされていなかったことに驚くことになります。例えば日本からヨーロッパに向かおうとした人が直前に出発便のキャンセルを言われて驚く話がありました(p.81)。

ホールはその友人に、航空会社に電話して別便がないかを尋ねるようにと勧めています。電話をすると、突然キャンセルを言ってきた[先刻の係員が出て、幸い一時間後に別便があり、空席もあると言った](p.81)というのです。現在なら、クレームになるでしょう。

ホールはコメントをつけています。[その係員は、友人の立場を尊重し、別便を進めるなどという出すぎたことをしようとは、思いもつかなかったのだろう](p.81)。現在の日本では、ありえないことがかつての日本ではあったということです。

顧客の視点で考えるというのは、現在の日本のサービス業では当たり前になっていますが、こうした視点は、そんなに古いものではないのかもしれません。1980年代に日本はやっと国際化してきて、大きく変わったということを感じます。日本語も同様でしょう。