■実質重視の本選び:圧倒的な本はごくわずかという現実
1 今後も読まれ続けるはずの三上章の本
日本語の文法に関して、圧倒的な存在は三上章でした。日本語の主語概念は、英語などの欧米語における主語概念と違う点から、主語廃止論を提示して、いまや通説に近い考えになっています。いまでも読む価値のある日本語文法の本を書いた例外的な人です。
賛同するしないにかかわらず、読まなくてはならない本というのは、そんなにたくさんはないでしょう。日本語文法に限って言えば、数冊しかないはずです。10冊は程遠い数だろうと思います。『現代語法序説』と『象は鼻が長い』は、少数の中に入る本です。
庵功雄は「日本語学の父 三上章」という副題を持つ「『象は鼻が長い』入門」という本を書いています。プロローグの副題は「三上を知らない世代による三上文法理解の試み」というものです。庵は三上の著作の[あまり熱心ではない]読者だったとあります。
2 今日の基準で三上は「アマチュア」
庵によると、[現在「日本語学」と呼ばれている研究分野の基礎を作ったのは寺村秀夫]であり、[その寺村に最も影響を与えた研究者はおそらく三上であろう](p.3)ということです。寺村の存在があったからこそ、三上に焦点が当たっています。
[三上の業績を振り返る]のは[「日本語学」が目指したものを再確認しておきたい]ためだということでした(p.3)。ここから何となくわかるのは、[国語学関係の分野においては三上の諸説は高く評価されていたとは言えない](p.8)ということです。
[その大きな理由は三上が「アマチュア」であり、学界の中心にいなかったという事実ではないかと思われる](p.8)と庵は書いています。[大学に職を持っていなかった三上は、今日の基準からしても、当時の認識からしてもアマチュア]なのです(p.9)。
3 実質が大切
後世まで残る本を書いた人でも、大学での職がないと「アマチュア」だと率直に書いている点で、庵のこの本は貴重でした。庵の書いた本で、後世まで残る本は見つかりそうにありませんが、庵本人はアマチュアだとは思っていないでしょう。そんなものです。
デカルトの『方法序説』は学術的な本ではありませんが、今後もずっと読まれます。デカルトについて書いた「大学に職をもって」いる人の本は、そのほとんどが読まれることも、その価値も持たないでしょう。ここでは「アマチュア」のほうに実力があります。
小室直樹の本も、学者の本とはみなされませんし、専門書としての形式も取られていません。しかし今後も残りそうな本がいくつかあります。いうまでもないことですが、実質が大切です。書かれた文章の質を見ていかないと、価値を見誤ることになります。
個人の関心のある分野は、全体からみると、ごく狭い領域にすぎません。その狭い中で本当に読むべき本が何冊あるのか、改めて思うことになりました。自分にとって圧倒的な本は、ごくわずかしかありません。それを見出すことが重要だろうと思います。