■西尾幹二『国民の歴史』再読:読ませる力
1 話題になった『国民の歴史』
2024年11月に、西尾幹二先生が89歳で亡くなりました。ニーチェの翻訳ではじめて名前を見た記憶があります。『国民の歴史』が話題になったことがありました。あとがきで、[私は歴史の素人である]と言い、[弱点も欠点も隠しようがない]と書いています。
この本で西尾は、[私が感銘し、これは本物だと信じて引例した専門家]の[仕事から十分に吸収している]と、あとがきに記していました。教養人が日本史をどう勉強したかがわかる貴重な本です。冒頭から、刺激的な書き出しになっていました。
▼紀元前500年頃を中心にして、前後六百年ほどのあいだ、すなわち紀元前800年頃から紀元前200年頃に至る間に、人類の歴史の中では、東でも西でも、全人類に深くかかわる重要にして決定的に大きな一連の動きがあった。哲学の出現、科学の成立、高度宗教の誕生といったことがあいつぐ。この時代を、ドイツの哲学者カール・ヤスパースは「軸の時代」と呼んだ。 p.9
2 第一の軸の時代と第二の軸の時代
第一の軸の時代には、[中国、インド、イラン、ユダヤ(パレスチナ)、ギリシャにおいて、別々にしかし同時代的に、感嘆すべき人間精神の覚醒が経験され、自覚された](p.9)のです。論語や聖書やギリシャ哲学など、人類の古典はこの時代のものでした。
西尾は古代の軸の時代の後、「日本と新羅、そして現在西ヨーロッパと呼ばれている地域」において、[紀元六世紀から十世紀へかけての地球上の胎動を、「第二の軸の時代」というふうに呼びなおしたい](p.11)と、論考を進めています。
第二の軸の時代を、[のちに近代社会を生み出していく地球上の大きな原動力](p.12)とみるのです。[ユーラシア大陸の文化全体と日本の文化とがあい対している][その決定的な要因は言語である](p.39)というのが西尾の考えです。日本語が問題になります。
3 読み書きの問題
西尾は、[言語と文字は別である。言語は音である。文字は符号である]と考えるのです。こう考えれば、[前者は、日本語はどこからきたかという起源の問題]となります。こちらは[依然として深い謎に包まれていて、決め手はない]でしょう(p.83)。
[後者は、漢字の到来以降に、日本人がいかにして漢字漢文を日本語として読]み、[いかにして漢字を転換、変形、利用して、日本語の表記方法を確立するに至ったかという問題]です。これは[読み書きの問題にほかならない]ということになります。(p.83)
この点、[訓読みを中国語に対応することが、自国文化の独自性を確立した画期的な発明](p.103)でした。[言語が文字に近づいたのではない。言語が文字を自分に近づけ、取り込み、自分のものに利用し、自家薬籠中のものとした](pp..109-110)のです。
ひさしぶりに手に取ってみて、読ませる力を感じました。1999年に出版されています。まだ古くなっていません。[本書を読めば私がわかった範囲でわかるし、私がわからないことはわからないのだな、とわかるであろう]とあとがきに記しています(p.769)。