■日本古代史について宮崎市定の補強:明石散人『謎ジパング』から
1 日本古代史に対する不満
以前、何でまた日本の古代史などに興味があるのと聞かれたことがあります。材料が少ない中で、どうやって合理的な解釈をして、どんな状況であったかを考えていくのは、とても興味深いことです。日本の古代がどんなだったのか、それ自体、興味をそそられます。
私にとって『宮﨑市定全集21 日本古代』が基本書です。この本を基礎にして、他の本を読んでみます。しかしほとんどが別世界のものです。宮﨑はこの本の自跋で「日本古代史の学界に対する不平不満、苦情反論を吐き出す態度をとった」(p.437)と書いています。
たとえば[私の七支刀解釈は理論的にも、また当時の歴史的環境にもぴたりと合致する、すぐれた新説だと自負するのだが、どうもそれがすんなりと日本の学界に受け入れられそうにないこともまた自覚している](p.433)と記しているのです。
2 「邪馬台国」の読み
宮崎全集21の「記紀をどう読むか」で、[邪馬の二字が、ヤマの音を移したとする点までは、何人も反対せぬであろう。問題は台、または堆が果たして、トなる音を移しうるか否かにある](p.267)と問題提起しました。明石散人が『謎ジパング』で補強しています。
▼西宮一民氏の論『古代、上代の音韻は連母音並列に馴染まない』及び本居宣長、石塚竜馬・橋本進吉・浜田敦・大森志郎氏が発展させた『上代特殊仮名遣』の論を補強させると、邪馬台国の読みは、もう≪ヤマト国≫で揺るぎようがない。 「邪馬台国に謎はない」p.82(文庫)
[連母音並列とは、YAMATAI国のように、TAとIの接続が母音で連続すること](p.82)ですから、ヤマタイではなく、YAMATOとなります。さらに「ト」には甲類と乙類があって、台は乙類とのこと。山門のヤマトは甲類、大和は乙類なので、畿内大和で決まりです。
3 「邪馬台国」の位置
日本書紀を作った[舎人親王達はなぜ神功皇后を卑弥呼と同一人物に当てたのか。天武、持統、文武、元明の四天王は、当然のようにこれを認めている]のです。当時、[邪馬台国の読みに関して論争などなかったことを物語る]ものと言えるでしょう(p.82)。
『謎ジパング』「邪馬台国に謎はない」では、もう一つ大切な指摘がなされています。魏志倭人伝にある「水行」について、「郡より倭に至るには、海岸にしたがひて水行し」から、[海岸の風景を見ながらの海旅と解釈するのが自然](p.87)です。
そうなると、「南して投馬国に至る、水行二十日」「南して邪馬台国に至る、女王の都する所、水行十日陸行一月」というのは、[海岸の風景を見ながらの旅、九州沿岸から瀬戸内海の船旅と解釈するのが最も自然](p.87)ということになります。
宮﨑は日本の学界に不満を表明していましたが、学会以外の専門的な人が残された問題を解決していくことでしょう。宮﨑全集は圧倒的存在で、今後も読まれることは確かです。ほとんどの学者の本は読まれなくなります。宮﨑の場合、その心配はありません。