■絵画から感性を追放する試みの失敗:モランディとモンドリアン

      

1 20世紀を代表する画家モランディ

ご指導いただいている画家の山口実先生から、モランディが20世紀を代表するような画家と評価されるのか、ちょっと不思議な気がするという話を聞いたことがあります。たしかに、そこまで偉大な画家だったのかと、微妙な感じにもなってくるでしょう。

たぶんモンドリアンが出てきて、あそこからは先に進めないという感じがあったからだろうと、そんな意味のことを山口先生が語っていました。モンドリアンはオランダ出身で、抽象画を描いたちょっと異色な画家です。ガントナーはこんな風に書いています。

▼ポール・セザンヌとパウル・クレーとの間にはただ一つの漸次的な、何ら原理的ならぬ区別があるだけである。ところがセザンヌとモンドリアンの間では、その区別は原理的である。なぜなら、いまや美術が感性的な経験の客体への追憶を最終的に根絶しているからである。 p.214 『ガントナーの美術史学』

      

2 感性と無縁のモンドリアン

人は何らかのイメージを持って、それを絵に表現していたはずでした。抽象絵画であっても、そこには何らかの感性の反映があったはずです。しかしモンドリアンは、そうした感性とは無縁でした。ここから何かが始まるとしても、別のものの始まりです。

ガントナーは続けて言います。[それは一つの真の抽象に到達し、それによって一つの形式言語を作りあげているが、それはまったく新たなものであり、美術の歴史において何の類例をも持たないのである](p.214)。しかし、その評価ははっきりしません。

モンドリアンがある種の究極の存在として評価されているのです。20世紀を代表する偉大な画家という評価もありうるかもしれません。しかしここを源流にして、新たな絵画の王道が始まるとは考えにくいことです。絵を見れば、それは明らかなことでしょう。

     

3 感性を絵画から追放する試み

モンドリアンの絵をどう評価したらよいのか、そのとき一番わかりやすい言葉で記していたのは、美術関係の本ではありませんでした。私には『なぜ人は書くのか』(茂呂雄二:補稿 汐見稔幸)の「表紙のことば」にSの署名で記されていた言葉が響きます。

▼モンドリアンは近代科学技術を支える人間の「知」のはたらきとして、単純化、形式化、計算、一貫性の追求があるとし、それらを美の新しい可能性としてとことんまでつきつめた。しかし、その近代科学技術が戦争では巨大な破壊力と化すことを知り、根底から失望したが、やはり「人工」を生み出しつづけようとする人間を肯定し、未来の人びとへ芸術の道を示そうとした。 『なぜ人は書くのか』 表紙のことば

20世紀の近代科学技術の進歩から抽出した思想が絵画に反映されたということでしょう。「単純化、形式化、計算、一貫性の追求」というのは、現在でもビジネスでは不可欠です。科学的な普遍性を活かして、絵画と別領域のデザインとして発展していきました。

そうなるとモランディのように不器用な感じで、従来の決まりからも自由な感性の方に、絵画の王道となる可能性が見出されます。写真のように描く写実画は「人工」的で技術的で、周縁に位置する存在にすぎません。感性を絵画から追放する試みは失敗したのです。