■木村尚三郎『「耕す文化」の時代』:「文化」と「文明」を考える

    

1 バブルピーク時に書かれた『「耕す文化」の時代』

ふと思い出して、木村尚三郎の『「耕す文化」の時代』を手に取りました。1988年に出た本です。PHP文庫になったのが1992年。バブル経済がピークになったころに書かれて読まれた本ということになります。「日本の時代」が長く続かないと記していました。

ヨーロッパの全盛期が100年、アメリカが50年、日本は長くて30年という見立てです。[日本の時代は1970年代の半ばから始まったと考えると]して2005年あたりがターニングポイントだろうとあります(文庫 p.38)。実際にはそれより十年以上早く終わりました。

木村はこの本で、[あの米ソですらが、このごろでは「対話と協調」を唱えるようになってきた](p.43)と冷戦構造の変化も指摘しています。詳細は違うにしても、木村には大きな時代の変化が見えたのです。歴史の視点からそれを見出したのでしょう。

     

2 精神的武器となるのが思想

木村は[生きる目標が、個人にとっても、企業にとっても、国家や民族にとってもきわめてはっきりと見えている時代]の[精神的武器として形成されるのが思想]であると言い、[だから体系的な大思想は常に高度成長期の所産]だと考えています(p.104)。

▼ヨーロッパにおいてルネサンスが最も華やかに展開されたのは14~15世紀のイタリア、あるいは16世紀前半の西ヨーロッパ諸国であった。ちょうど農業的な高度成長が成熟の時代に差し掛かり、社会が大きな折れ曲がりを迎えていた時期である。(中略) そうした折れ曲がりの時期に、ルネサンス運動が芽生え、広がっていったわけである。 p.105

[12~13世紀の高度成長期に発達したスコラ哲学のような壮大な思想や学問体系](p.105)が影響力を失い、カトリック教会も衰退に向かっていきました。十字軍は失敗し、[ペストの時代が到来した]のです(p.106)。そういう時、ルネサンスが始まります。

     

3 文化は工業からは生まれない

さあどうしようかというとき、人間はどういう行動をとるのか想像できるでしょう。[ルネサンスの時代には、クラシックが極めて尊重された]のは自然です。木村はルネサンスを「再生」ではなく[「復活」と訳したほうがよい]と書いています(p.111)。

[聖書を口語訳で読んでみたいと思うようになったのが、14~15世紀から]、[聖書が歴史上初めて一般の人々のものとなった。これこそが宗教改革の持つ意義]です。[ルターにしても、カルヴァンにしても、聖書を信仰の根拠とする、聖書主義]でした(p.110)。

ヨーロッパは[「工業を発展させた国」と「それほど工業が発展しなかった国」とに分けることができる](p.127)。プロテスタント圏は工業が発達し、カトリック圏は農業や文化が発達しました。農作物が貧しいから、イギリスやドイツで工業が発達したのです。

フランスの都市では[17~18世紀から朝、昼、晩と三回食べる習慣が一般化した]のに対し、イギリスでは[19世紀も終わりになってから]でした(p.133)。第5章の副題は「文化は工業からは生まれない」となっています。大切にしている本です。