■日本語のセンテンスにおける重心・軸足:強調との関係

     

1 後置される重心・軸足

日本語のセンテンスは、文末が要になっています。要とは言葉を束ねる役割を果たしているということです。「今日、学校で演奏会があります」という文なら、「今日…あります」「学校で…あります」「演奏会が…あります」と、「あります」が束ねています。

このように言葉を束ねる作用がある場合、文末に重心があるとか、軸足があると言ってよいでしょう。重心があるから大切だとは簡単にいえません。ここでは、どちらが大切かという評価をせずに、作用から言葉の関係を見ていく方が安定した見方になるはずです。

「AのB」の場合も、重心とか軸足で見れば関係は明らかになります。「仕事の残り」と「残りの仕事」を見ると、前者の重心は「残り」にあり、後者の重心は「仕事」にあると言ってよいでしょう。この場合も、後ろに重心や軸足がありそうです。

     

2 重心・軸足への説明

中核となる言葉に対して、その説明をするという関係は、センテンスを読み解く場合に、前提になっています。言葉の関係をどう理解したらよいのかというルールが、自然にわれわれに身についているということです。当然、シンプルなルールになっています。

日本語の場合、重心や軸足を把握するときに、おかれる前と後という位置関係が大切になっているということです。後ろに置かれた重心・軸足のある言葉に対して、その前の言葉が説明しているということになります。文末の役割も、「AのB」も同様です。

「3の4倍」ならば、「3に関して4倍」のこと。「3」を取り出して、これが「どうなるの・どうするの」という構造です。「今日、学校で演奏会があります」の場合も、「今日/学校で/演奏会が」「どうなるの・どうするの」という構造になっています。

    

3 後置される重心・軸足、前置される強調

重心・軸足が後ろにある構造では、センテンスの最後まで読まないと意味が確定できません。文末を確認することがセンテンスの意味を決めるということです。最後に「…ということはありません」が付いたら、それまで述べられてきたことが逆転します。

日本語の場合、ある内容が設定されて、それがその先「どうなるのか・どうするのか」ということを読み解きながら進んで行く構造と言えるでしょう。「どうなる・どうする」の結論部分が文末にありますから、そこに向けて進んで行くということです。

こうした構造において、強調という作用はまた別の働きをするものになります。強調する言葉に、重心や軸足があるのではありません。重心・軸足との関係で、強調という作用が生まれることになります。重心・軸足との結びつきが強いということの表明です。

後置される重心・軸足との結びつきの強さを表す強調の形式は、言葉を文頭に出すことによってなされます。「演奏会が、今日、学校であります」ならば、「演奏会」が強調されたということです。後置される重心・軸足、前置される強調という関係になっています。