■241102 立軌展 パネルトーク:赤堀尚・笠井誠一「私の転機」

     

上野の東京都美術館にて、11月2日の14時半から、立軌展のパネルトークがありました。赤堀 尚97歳、笠井 誠一92歳の両先生のお話が素晴らしくて、知人も、よかったと言っていたのですが、数日したら忘れちゃったとのことです。

よくあることではあります。それで備忘録を作りました。メモなし、数日たってのことですので、何となくどんなお話だったのか、わかっていただければ十分かと思います。お二人とも、出品作品がとても素敵でした。11月8日まで開催しています。

    

★赤堀 尚 先生(1927年生まれ)

目の前にあるものをどう表現するか。目の前のものと向き合って、それを絵にするということを続けてきた。自分の絵は9割以上、目の前に物を置いてそれを描いてきた。想像で描いた絵は、本当に例外。

大学を卒業して、だんだん色のない絵を描くようになっていた。そうして念願のフランスに、30歳を超えてから行った。当時(1959年)は飛行機じゃなくて、船便でマルセイユに着いて、そこから鉄道でパリに向かった。

フランスを見て感動して、全然別の色の世界があると思って、これはいままでの絵を全部捨てないといけないなと思った。美術館で絵を見ながら、フランスの絵画を学んで、構成と色の豊かを、だんだん身につけていった。

フランスに2回留学して、それで西洋絵画の色彩で画面を作っていくことがだんだんできるようになってきた。ただ、だんだん一枚の絵のなかに入れるモノの数が減ってきた。たくさんのものを一枚の絵に入れたくなくなった。

ずいぶん時間がたって、70代の終わり頃になって、ああ自分は西洋絵画をモノにするのは無理なんだと、やっと悟って、自分の絵は日本人の絵で、油絵具を使って日本画を描くしかないんだと思った。

池大雅(イケノ・タイガ)、与謝蕪村(ヨサ・ブソン)の絵で行くしかないんだと気がついて、墨で描くように少ない色で描くようになっていった。そうするうちに、これは証拠がないけれども、大雅・蕪村の感性はセザンヌと同じものなんだと思うようになった。

証拠はないけれども、感覚で言うと9割がた正しいと思うのだけど、大雅・蕪村はセザンヌと同じ感覚でモノを捉えている。目の前にあるものを、どう捉えるかというとき、大雅・蕪村でいいんだと、それならば西洋絵画も理解できるだろうと思った。

ジャコメッティも言っているが、目の前のモノ(立体)を絵(平面)にするというのは、もともと無理なことをやろうとしている。それでも目の前のものをどう表現するかということをやっている。目の前のモノから得たイメージを絵にする。これをずっとやって来た。

絵にしようとする前の感動が本物で、絵はその結果に過ぎない。絵よりも、その感動を大切にしてきた。感動が大切で絵を描いたのを忘れて、フランスでも2枚描いたスケッチの1枚目をそこに置いてきてしまって、あとで取りに行ったけど、もうなくなっていた。

そんなもので、目の前のモノを表現するときの感動を得たくて、何十年もやって来た。もう百(歳)近くなって、あと何年生きられるかわからないが、日暮れて途遠しというところで、こんな感じで、まだ描いていくということです。

     

★笠井 誠一 先生(1932年生まれ)

先ほど赤堀さんが言ったのと同じころ(1959年)、フランスに留学して、同じように日本で習った絵を全部学び直さないといけないということになった。ブリアンションの教室で、フランスのアカデミズムを学んだ。デッサンから構成から全部やり直すことになった。

人物デッサンをするときに、人物を描くのではなくて、だだのモノ、物体を描くんだと言われた。モノを線で表現する。調子をつけるのではなくて、線を選んで構成していく。日本でやっていたことが、全部ダメなんだということになった。

ゴシック形式の堅牢な建物のように、がっちりした構成で仕事をしていくんだということ。これは日本とは違っていた。フランスでは人物画が中心じゃなくて、静物画が中心でした。静物をつかって画面を構成していく。

画面は形と色で構成されている。最初に形がとれなくてはいけない。これが基礎。日本では、色について、寒色と暖色というのを言わないが、赤とブルーの色がどうなのかということを、うるさく言われた。赤に対して、ブルーのバランスはどうなのかと。

フランスに行った当初の仕事は、堅牢な画面を作るというので、厚塗りをしたこともあったが、堅牢にするということは、厚塗りにするということではなかった。ゴシックのように、堅牢な構成にするために、厚塗りすればいいというものではない。

色を塗るときには勢いというのがあるから。それがあると厚塗りをしなくても、がっちりした構成にして画面を作っていける。堅牢な構成にするには、線で決めていく(モノの境界線を引くのもそういうこと)。線を選ぶということ。

日本に帰ってきて、愛知県で教えて、そこにいる遊馬君たちとも勉強してきた。フランスでデッサンから何から、作り直されてきたものをもとにして、ずっと仕事をしてきた。私にとって転機というのは、フランスでアカデミズムに触れたことだといえる。

今年は体力的にも厳しいなかで出品をしたものですが、絵の仕事というのは、いつどうなるというのではないけれども、私たちは何かを表現しようしているということ。表現しようとすると、いちばん最初にすることは、絵を描くということになる。

文章を書くとか、そういうものよりも先に、子供は絵で表現する。うまいとかヘタとか、そういうのじゃなくて、絵を描く。そういうとき、表現行為を傷つける余計なことをすることがある。そういうことがあると絵が嫌いになる。

絵というのは表現するという人間の本能に基づくもので、それを追求して仕事をしてきた。目の前の対象を画面に表現する、画面に堅牢な構築物をつくっていくというのが仕事です。まあ、こういうことを続けてきたということになるかと思います。