■ドラッカー・マネジメントと日本人のマネジメント関連の著作

      

1 ドラッカーは何も証明していない

最近、ドラッカーの本を以前ほど読まなくなりました。ドラッカーの考え方はもうすでにしみついていますが、別のルートからマネジメントを考えたいと思っています。ちらっとそんな話をしたら、ドラッカーはアメリカでは相手にされていないよねと言われました。

そういう話を聞いたことがあります。たとえば野田稔は『実はおもしろい経営戦略の話』で、ドラッカーが[現代の経営学者たちからは、まったく評価されていません][ドラッカーは何も証明していないから]というのがその理由のようです(p.30)。

そう言えば、入山章栄『世界の経営学者はいま何を考えているのか』では、「ドラッカーなんて誰も読まない」という帯があったということでした。それだけで、この本を読む気がなくなったので、どんな内容かは知りませんが、読まないらしいことはわかります。

        

2 ドラッカーの本は大物向け

数量的に、統計的に何らかの成果があることを証明しようとする科学的なアプローチは、経営学にしっくりこないのです。野田の『実はおもしろい経営戦略の話』でも[経営学も経営戦略も、純粋な科学にはなりにくい性格を持っている](p.21)と記していました。

菊澤研宗は『ビジネススクールでは教えてくれないドラッカー』で、やや違った面からドラッカーを評価しています。「はじめに」で、[米国の経営学者は、全くドラッカーに関心を持っていない]と書いていますが、これは「ほとんどの」ということです。

[一般的で平凡な実証主義的な研究者にとって、ドラッカーの本はまったく読む価値がない]といえます。ところが[ビッグ・アイディアを創造しているようなわずかな大物研究者たちは、ドラッカーの本を読んでいる](p.27)のです。大物向けといえます。

      

3 日本人の著作の中に本物があるとの確信

菊澤は第3章を「統計学のお遊びになってしまった経営学」としています。見出しに「実証主義的研究は時間の無駄」ともあります。一方で、「哲学的なドラッカーのマネジメント」(p.64)という言いかたもしていますから、平凡な学者の弱点も感じ取れるでしょう。

▼私の考えでは、おそらくほとんどの人は、ドラッカーの初期の著作の内容を十分に理解できないのではないだろうか。それほど彼の著作は難解で、かつ手ごわいものだ。それを理解するために、かつて日本の経営学者は、ドラッカーの著作に挑戦していたのだと思う。 p.18

残念なことは、菊澤の本でドラッカーの解説をしている第5章から第11章までの内容が、しっくりこないことです。この方は哲学書を趣味で読むような人ではないように思います。かなり読みが甘い気がするのです。しかし今は、もっと気になることがあります。

日本人の著作の中に、経営学のエッセンスにあたるものが書かれているという感じがするのです。ドラッカーよりも、日本人のものの方が理解しやすいことでしょう。そしてドラッカー以上に優先して読むのは、本物が書かれているはずだという確信があるからです。