■歴史家のアプローチ:前提条件を地道に固める宮﨑市定
1 安本美典『倭の五王の謎』のアプローチ
日本の古代史の場合、第31代の用明天皇の時代以降、即位の時期などの年代に関して、ほぼ正確だといわれています。用明天皇の即位は585年でした。それより100年程前の第21代の雄略天皇となると、在位されたことは確実なようですが不確かなことがあります。
『古事記』では、124歳で崩御とありますので、そのまま信じられません。用明天皇が31代ですから、雄略天皇は10代前の天皇です。もし記録通りの即位が続いたとしたならば、10代で100年ですから、天皇一代の在任期間はおよそ10年くらいになります。
安本美典は『倭の五王の謎』で、古代の謎を解くために、天皇の在位期間をもとに時代を推定するアプローチをとりました。徳川時代以降、一代が約20年、鎌倉から桃山時代までが約15年、平安時代が13年弱、飛鳥・奈良時代が10年強と、古代ほど短くなります。
2 天皇系図に間違いがないという前提
在位一代の年数平均をとると、古代ほど短くなるのは予想されることですし、自然でしょう。こうやって安本は「倭の五王」の時代を推定していきます。讃=応神天皇、珍=仁徳天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇…だということでした。
前田直典などが提唱していた見解に数量的な裏づけをつけた形になっています。小西甚一は『日本文藝史1』で、8代の天皇の在位期間を230年とする神田秀夫の『古事記の構造』を妥当だとしていましたが、安本のアプローチのほうに説得力がありそうです。
ただし神田にしろ安本にしろ、『古事記』『日本書紀』の天皇系図に間違いがないということを前提にしています。この点が気になるところです。魅力的なアプローチであっても、前提のところに間違いがあれば、見解を維持することはできません。
3 宮﨑市定「天皇なる称号の由来について」
宮﨑市定は「天皇なる称号の由来について」(『宮﨑市定全集21』所収)で、「皇太子と太子」の言いかたに違いがある点を指摘しています。宮﨑はこの論文で、天皇という称号はもと「天王」であったものが、皇帝と同列の天皇となったとの見解を論証しました。
そして[主権者が皇帝である場合、その世嗣(セイシ)は皇太子である。ところが天皇の場合は、多くは単に太子と称するのである](p.305)とのことです。「天王⇒天皇」「太子⇒皇太子」のいう変化が起こるはずですが、実際には混乱が生じています。
[雄略天皇記以前と、武烈天皇記の地の文は、もっぱら太子という言葉を用いる]が、雄略天皇記の巻14から、巻15の清寧・顕宗・仁賢三天皇記では[すべて皇太子という言葉を用いている](pp..305-306)のです。三天皇記は新しい資料の可能性があります。
宮崎の王道を行く歴史的なアプローチはビジネスの問題を解決する際にもヒントになります。歴史家でない神田や安本のアプローチは大胆で魅力的ですが、採用できそうにありません。分析の前提を固めていくことが優先されます。宮﨑の凄みを再確認しました。