■二種類の感動:巨匠たちの音楽をめぐって 『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』から

     

1 二種類の感動

中野雄が『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』で、カール・ベームが死後に急速に忘れ去られていった理由について記しています。メジャーレコード会社の担当者が「幸い日本では、“巨匠”ともてはやされてまだ売れているようだから」と語っているとのこと。

[数ある巨匠の中で、なぜか「ベームだけが、死後、影が薄い」と内外識者は言う](p.70)そうです。中野は、そのヒントの一つとして、コンサートで受ける感動について、二種類の感動があるというピアニストの小山美稚恵の言葉を伝えています。

一つはそのとき熱狂して素晴らしい音楽会だったと思っても、時間が経つにつれて印象が薄れて忘れてしまうもの。もう一つは[音楽のイメージが具体的に思い出されて、いつまでも脳裏から消えることのないアーティスト](p.72)がいるということです。

    

2 息をのむような即興

絵を見ても、うまいなあと思って見ていても、印象が薄れてしまう作品はあります。あるとき画家から、うまいんだけど見た後、帰りの駅に着くまでに忘れてしまうくらいの感じなんだよねと言われたことがありました。消えない感動というのはまれなものでしょう。

中野は、内田光子の言葉を補助線に出しています。アーノンクールの演奏について、[「演奏会の間、『あっ』と息をのむ瞬間が何度もある人なのよ]と評した][息をのむような一瞬が作れなかったら、ピアノを弾く意味がない]という考えです(pp..73-74)。

コンサートマスターの篠崎史紀が[ステージにおける即興は、事前の緻密な準備と計画、それが実際の演奏行為の中で、突然の閃きによって変えられる](p.75)と語ったとのこと。どうやらベームには、息をのむような即興が欠けていたのかもしれません。

    

3 リハーサルと本番

中野はベームの演奏会の様子を思い浮かべながら、[肝心の音楽が脳裏に甦ってこない](p.73)と言います。では、閃きを生むために、優れた指揮者はどうしているのでしょうか。中野はピエール・モントゥー、オイゲン・ヨッフムなどに、訊ねたそうです。

▼100パーセント完璧なリハーサルはむしろ有害だ。前日までの合わせや、当日昼間の総練習などで、音楽を、これで良し、本番もこの通りできるように頼みます、などという水準まで仕上げてしまうと、実際の演奏は必ず面白くなくなる。良く言って“無難”という水準。何パーセントかの“空白”な部分、消化不良な部分を残しておいて、彼らに指揮者は本番ではどういう指示を出すんだろう、と思わせておくのが、本番で緊張を維持するコツなんです p.75

フルトヴェングラーは[リハーサルでも本番同様の集中力を要求した]が[リハーサル時と同じ音楽を本番でやることは絶対になかった!][会場に漂っている音楽的な雰囲気に微妙に反応して、オーケストラの“響き”を自在にコントロールした](p.78)とのこと。

上記はコンサートマスターのヴィルヘルム・ヒューブナーの著書から中野が引いた言葉です。中野は巨匠と言われる人たちと直接の交流がありました。最高レベルの音楽がどう作られるのか、ごく一部ではあれ、われわれにもわかるように伝えてくれています。