■絵を見ながらの思いつき:「誰に・何を・どのように」の一体化

      

1 感動の持続の問題

絵を見に行くと、ときどき写真のように詳細に描かれている作品に出合います。光が当たっているところや、影の部分など、まさに写真のようです。どんな風に描かれているのかと、近づいていって確認したくなります。丁寧な仕事であることは間違いありません。

こうした作品は、しばしば写真をもとに描かれると言われています。実際に、写真を撮って、写真を加工したうえで、絵にしているとお話しくださった画家もいらっしゃいました。こういう絵は一定の人気がありますから、見かけることが多くなっています。

しかし不思議なものです。その時、すごいものだと驚いたのは間違いないのですが、感動したというのとは違う気がします。時間とともに驚きや感動が湧き上がってくるというものでもなくて、ある種のポジティブな気持ちも、わりあい早く消えてしまいました。

      

2 「誰に・何を・どう書くか」の問題

色数も少なくて、粗いタッチで描かれている絵の方が、ときとして感動を呼ぶのは、多くの人が経験していることだろうと思います。時間をかけるからよいとばかりは言えそうにありません。ある種のスピード感というか、即興性を感じさせることも大切でしょう。

むずかしいものだと思います。見る側は好き嫌いを全面に出して、この絵が好きだと言えば済むかもしれませんが、描く方はそう簡単にいくはずはないでしょう。何を描くかだけでなく、どう描くかが極めて重要です。両者が一体化しているようにも見えます。

ビジネス人の場合、「誰に・何を・どう書くか」を考えて文書を作るというのが原則です。まず「誰に」を決めて、「何を」を選ぶことになります。それが伝わるように「どう書くか」を考えて、文章を描くのが原則です。絵の場合、どうなっているのでしょうか。

     

3 感覚、感動を提示するための論理

絵は感覚で、文書は論理だというのは、説明としては十分ではないでしょう。作成側の視点と、受取側の視点では違います。たしかに絵を鑑賞する場合、ぱっとみて全体を感じ取りますから、論理は不可欠ではありません。ビジネス文書の場合、論理性は不可欠です。

絵の場合でも、作成する人が感覚だけで描いているはずはありません。構図を考え、構成を考える必要がありますし、表現の仕方もそれぞれの工夫が必要です。よほど考えているということになります。どう見てもらうかの思考があって、そこに論理が入るでしょう。

写真をもとにした絵の場合でも、構図や構成の問題が出てきますが、表現の仕方は写真の模倣という感じがぬぐえません。この点、感動が持続しない問題と関わってくる気がします。ある対象を、どう描くかを発見する過程が必要なのかもしれません。

ビジネス文書の場合、素晴らしい提案や企画に感動が伴うにしろ、論理性や合理性が前面に出ます。絵の場合、ある種の感覚、感動を提示するための論理があるはずです。ただ評価が圧倒的に早くなされます。「誰に・何を・どのように」が一体化する理由でしょう。