■もう一人の巨匠:指揮者・朝比奈隆
1 日本人の指揮するブルックナー
中野雄は『小澤征爾 覇者の法則』のプロローグで、[いま、この東方の島国・日本出身の指揮者で、後輩達から「坂の上の雲」と仰がれ、目指す目標たり得る人物は、小澤征爾を除いて一人もいない]と記しています。その通りなのかもしれません。
しかし、飛び抜けた指揮者ならば、もう一人いると思います。朝比奈隆です。朝比奈の著書『この響きの中に』の「語る」なかに、1996年5月に[シカゴ交響楽団を指揮し、ブルックナーの交響曲第五番を三回やりました]とあります(p.124)。反響がありました。
当時の[シカゴ交響楽団の音楽監督はダニエル・バレンボイムで、支配人のヘンリー・フォーゲルに「日本人がブルックナーを振るなんて考えられない」と言った](p.125)とあります。たしかに小澤征爾のブルックナーは、ブラームスのように成功していません。
2 音楽に対する誠実さや愛情
朝比奈は[ベートーヴェンやブルックナーをなぜ終生の仕事にしたのか、不思議ですね。芝居をやるならシェークスピア、みたいなことですかね。法学部出身だからかも知れませんが、論理的で緻密に構成されているものが好きなんです](p.148)と語ります。
ブルックナーの[曲からは、彼の音楽に対する誠実さや愛情が感じられるんです]と言い、「ベートーヴェンもブルックナーも、モーツァルトのようにすらすら作曲できた人ではなく、決して器用ではなかったと思います」とも語っていました(p.149)。
朝比奈の演奏から感じるのは、「音楽に対する誠実さや愛情」です。とくにブルックナーは、日本の指揮者で飛び抜けている気がします。なかには朝比奈のブルックナーを究極の演奏のように、極端に高く評価する人もいますが、それはまた別の問題です。
3 フルトブェングラーとの出会い
ヨーロッパへの最初の演奏旅行は1953年でした。ロンドンでナショナル・オーケストラを指揮する話でしたが、トラブルになってハンブルクに脱出したところ、そこにフィンランドでの演奏の依頼が来ていたとのこと。ニュースのおかげで、チャンスを得ました。
フィンランドでの演奏会が成功し、これがきっかけでベルリン・フィルでも客演指揮をすることになります。また[五三年の演奏旅行で忘れられないのは、ベルリン・フィルの首席指揮者だったフルトブェングラーに会ったことです。亡くなる前年でした](p.143)。
ブルックナーの9番を振ると言うと、[返ってきたのは「原典版でやるべきだ」という一言でした。原典版と言うものがあることは、この時初めて知りました。わずか二、三分の出会いでしたが、ブルックナーを指揮するときにいつも思い出す言葉です](p.143)。
朝比奈も小澤と同様、大切な人との出会いがありました。朝比奈は[音楽学校出身でなく、音楽の専門教育を正式に受けたことがありません](p.151)という人です。小澤征爾ほど世界的名声はありませんが、タイプの違う、もう一人の巨匠だったと思います。