■日本語と英語の主題概念:なぜ、どんな風に日本語文法は負けているのか?

     

1 主語は既知、主題は未知の言葉

先日、「日本語文法の今後」というブログを書きました。日本語の主語概念を統一的に理解するのは、もはや無理であり、新たな用語を作って概念を明確化するしかないという見解に賛成しています。さらに、主題の概念についても明確化が必要だと考えました。

ここでうっかりしていたことがあります。じつは主語という言葉を、皆さん何やかや言いながら使っていますし、自分なりの納得をしているのです。自分なりの理解だという自覚があれば、主語概念に不明確な点があると言われれば、そうかもしれないと伝わります。

ところが、主題とはどんな概念であるかを書きませんでした。主語と違って、主題という用語は、教科書にも出てきません。日本語における「主題」とはどんなものなのか、聞いたことがないという人がほとんどです。概念の不明確さを言う以前の問題でした。

    

2 不明確な日本語の「主題」概念

『日本語文法事典』で野田尚史は、[主題とは、その文が何について述べるかを表す成分である](p.278)と記しています。主題を示す目印の代表は「は」で、[「なら」「って」「なんか」などがある](p.279)とのことです。明確な概念ではありません。

英語の場合、主題の目印がなく、文頭に置く語順も適用できないため、[後ろにポーズを置くような音調]で示す(p.278)とのこと。主題を明確に定義することを放棄したようです。尾上圭介は、[「主題」を形で定義することはできない](p.275)と書いています。

日本語の文法用語として、マニアだけが使えばよさそうです。英語の場合、別概念として使われています。『英語の発想』において上田明子は、[シーム(theme)とリーム(rheme)という、文法の主語+述部とは別の2分法を立て]て、文を分析していました。

    

3 使える概念と使えない概念

「シーム+リーム」は「主題+解説」を表す[談話分析の手法]の術語であり、「情報伝達」を分析するために利用します。[シームとは、文の最初に来る語ないし語句のひとまとまり](p.97)であり、リームは[文の残りの部分](p.98)です。これなら使えます。

文法の「主語+述語」とともに「シーム+リーム」を使えば、「主語=シーム」の場合と、そうでない場合が出てくるはずです。そこに意味があります。文を分析する場合に、概念が明確で使いやすくて、意味のある分析ができるツールが必要になります。

野田の提示した主題概念では、使いようがありません。日本語に主題概念を導入する場合、英語のシーム・リームのように概念を明確化して、文法とは別建てで使う方が合理的です。主語の場合、明確な概念に再定義した上で、別名称にすれば使えるでしょう。

文を分析するためには、明確でシンプルなツールが必要です。日本語文法では、主語や主題の概念が明確にならなくて、つまずいています。一番の基盤にあたる部分が脆弱だということです。こういう場合、ゼロベースで構築し直すのが上策といえるでしょう。