■日本語文法の今後:ゼロベースの再構築が必要

     

1 今後の日本語文法はどうなるか

ふと思い出して、2014年に出た『日本語文法事典』(大修館書店)を見てみました。この事典には「主語」と「主題」の項目があります。同じ出版社から出た2005年の『日本語教育事典』には「主語」の項目がありませんでした。当然、編集者が違っています。

前者は「日本語文法学会」、後者は「日本語教育学会」です。執筆者には重なっている人がいてもおかしくありません。研究と教育が違うということでしょう。このことに問題はないのです。気になったのは、今後、どうなるかということでした。

教育の場合、一定以上の標準化が必要です。研究は各人が自由にやればよいでしょうが、教育用テキストの記述内容がバラバラでは困ります。そんなことから、2014年の『日本語文法事典』を確認してみれば、今後が見えて来るかもしれないと思ったのでした。

     

2 別概念には別名称が必要

主語、主題について、それぞれ3人が執筆しています。もともと統一的な見解がないと思われますから、一人の人が書くよりも、この方がよいでしょう。当然ながら、主語についても、主題についても、統一的な見解が出てきているわけではありません。

主語について、尾上圭介は、[述定文(述語を持つ文)には、表面上主語が表れていない場合も含めて、原理的に必ず主語があると、ほぼ言ってよい]と言い、[<認識内容>があるのに<認識対象>がないということはありえない]と記しています(p.269)。

2人目の角田太作は、[日本語に主語を設定する根拠はある。英語の場合ほど根拠は強くないが](p.272)という言い方です。3人目の野田尚史は[主語の性質ごとに別の名称を与え、別のレベルのものだと考えるべきである]としています(p.274)。

      

3 ゼロベースの再構築が必要

3人の主語の見解を見れば、野田が言うように、もはや統一的な主語概念を立てることは難しいでしょうから、別の用語をもってくる方がよさそうです。その点では、主題も似たようなものではないかと思います。主題の概念が標準化されていないからです。

野田尚史は[日本語では、「は」のように主題を明示的に表す形式があるため、主題を抜きにして文の構造や機能を考えることはできない](p.278)と言います。しかし、この見解に納得する人ばかりではありません。逆に、主題概念は簡単に使えないと感じます。

尾上圭介が[主題という概念は極めて定義しにくい][「主題」を形で定義することはできない](p.275)というほうが素直な認識というべきでしょう。主語を否定して、主題を中核に据える日本語文法が、今後の標準的なテキストになるとは思えません。

主語だけでなくて、主題も統一概念を打ち立てるのは難しいということです。ビジネスの世界を見て来た人間なら、こうした状況を見れば、もう一度、ゼロベースで構築し直すしかないと判断するでしょう。個々の修正では、もうどうにもならないと思いました。